蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第五章 沈黙の大地(4)  
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      四  

 風もないのに煙る大地を見据え、サナは絶句した。しぶるガジャ達を説得し、エナマ村のすぐ側まで戻ったはいいが、そこから先に進めない。途中までは聞こえていた、怒号や悲鳴は絶えていた。さらさらと砂が崩れるような音だけが、時折、思い出したかのように響く。
 だが、それでは足りない。あまりにも、足りない。
「お前……寒いのか?」
 囁くティトを、強く抱く。その温もりを支えに、もう一度正面の景色に挑む。人影が見える。ミク、そしてテッド。二人はデグランから降り、立っていた。そして、前にいる人物を見ていた。空を仰ぎ、茫漠と佇む漆黒の髪の青年を……。
「寒い――のか?」
 サナの腕が、ティトをぎゅっと抱きしめる。
 ユーリは、残酷なまでに青い空を目に映しながら、過去を見ていた。半時ばかり、時を遡る。デグランを飛ばし、村に向って駆ける自身を、俯瞰の位置から見下ろす。
 その時視界は、砂煙に阻まれていた。距離はまだ遠い。駆けても駆けても、届かない。
 上。
 急に寒々とした気配を感じ、ユーリは砂塵の舞う上空を見上げた。目では知覚できない気を、感覚の全てを使って捉まえる。とたん、煙の中の情景が、すぐ側に迫る。
 村人達は、勇敢だった。国軍に比べ、武器と呼べるようなものを持たない彼らは、日々の生活で使う物を握り締め戦った。家畜をさばくナイフ、石の欠片、ただの棒切れ。たまたまその手に当った物を夢中で取り、彼らは立ち向かった。
 そんな村人達を、ヤーラヌ騎兵団のデグランが蹴散らしていく。火が放たれ、家屋が燃える。あっと思う間もなく炎に包まれた家から飛び出してきたのは、若い女性だった。胸に抱いた赤ん坊のせいで、バランスを崩し、転ぶ。そこに剣が振り下ろされる。
 容赦のない殺戮。ただの、殺戮。後十分、いや五分、彼らの到着が遅ければ、村人達はみな、そこで死に絶えていたかもしれない。
 低く唸るように震える大気に、ユーリは視線を移動させた。盗賊団だ。その数、およそ三百。デグランの上で煌く剣が、駆けてきた勢いのまま薙ぎ払われる。まるで吸いつくように、刃が的確に敵を捉え、滅ぼす。
 ガジャの言葉は正しかった。駆けつけた先陣の数は国軍より遥かに劣っていたが、背後には、新たな砂煙が上がっていた。数百にも及ぶ、別の盗賊団。さらに向こう、地平線の果てで、大地が膨れる。
 その様に気を奪われた一人の兵士が、デグランから落ちた。首と胴体とが、別々に転がる。三日月型の剣が、さらなる獲物を求めて翻る。確かな技、日頃の鍛錬の賜物、何よりその士気の高さ。積もり積もった憎しみの力が、圧倒的な数の不利を覆していく。
 ヤーラヌ騎兵団は、次第に追い詰められていった。乱れ、統率力を失い、傾れを打って敗走する。ますます戦場は混乱し、ただ剣だけが生贄を得て意気あがる。血飛沫が飛ぶ。砂がそれを吸い込む。大地が瞬時に、濃く濁る。
 入り乱れた戦場の中で、ユーリは一人の人間に目を止めた。見覚えのあるその顔に、息を詰める。昨夜の花婿、黒い口髭がまだ不似合いな、若い男が懸命に走る。荒れ狂う狂気の中で、呆けたように天を仰ぐ老婆の体を抱え、物陰へと移動する。一人でも二人でも助けようと、また走る。子供、女、老人、傷付いた男達。なんとか彼らを逃がそうと、若者は懸命に地を這った。
 それを。
 ユーリの胸が、激昂に震える。締めつけられるような痛みに、思わず手をあてがう。
 ガーダは真上にいた。錆色の衣を纏い、空に浮いていた。赤い目が、泳ぐ。遠く、まだ遠く。村から離れているユーリを見据え、笑う。
 待て。
 ぎりっと奥歯を噛み締めながら、デグランを飛ばす。
 止めろ。
 大きく両手を広げたガーダに向って叫ぶ。
「止めろーー!」
 ユーリは。
 見ることしかできなかった。それが、彼の力の限界だった。
 ガーダの手が翻り、爆音が響く。人が石ころのように巻き上げられ、陥没した大地に落ちる。村人であれ、国軍であれ、盗賊団であれ、それは同じだった。等しくガーダの放った爆風が、地に立つ全ての者を滅ぼした。嘘のように、音が消える。風の音すらも止む。広大な砂漠に、ただ自分が駆ける音だけが響く。デグランの足音、荒く乱れた自身の呼吸、それらの音だけが鼓膜を震わせる。
 何もかもが、消えた。微塵も、そこに残ってはいなかった。この感覚は覚えがある。あの時と同じ。ブルクウェルの城の上空で、高く鳴くブルードラゴンと、心を合わせた時と。
 氷雪に覆われたセルトーバ山の冷えた肌が、直ぐ目の前にあった。恐ろしいほどの静寂が、そこにあった。スルフィーオ族の、そしてあのエルフィンの。命あるものの気の全てを代償として、その沈黙があった。

 
 
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  第五章(4)・1