蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第五章 沈黙の大地(4)  
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「待て」
 近付いてきた四頭のデグランのうち、もっとも大きな一頭の上に乗る男が叫んだ。
「またお前達か。まさか、生きていたとはな」
 続けて、そう言葉を吐く。ユーリが訝しげに、男を見上げる。
 砂を避けるため、頭部と口元はすっぽりと布で覆われていた。が、わずかな隙間から覗く目に、ユーリは見覚えがあった。真っ直ぐな若者の目。純粋さのあまり、ぎらつく目。敵であれば容赦なくその命を奪う一方で、サナとティトのためにデグラン一頭を残した、優しさをも持つ瞳。
「なぜ、止める」
 未だ剣を抜いたままの男が、荒々しく声を上げた。
「こいつらは、ロナ族の――」
「こいつらは、関係ない」
 デグランの向きを変えながら、盗賊の男が言う。
「我らの敵はハラトーマにあり。積年の恨みを、今こそ果たす。その聖なる戦いの前に虫けらなどを相手にして、剣を汚すことはなかろう。行くぞ」
 強く盗賊がデグランの腹を蹴る。ユーリが叫ぶ。
 違う! この村を滅ぼしたのは――。
 しかし、それは声にはならなかった。声にすることができなかった。
「行くぞ、ハラトーマへ! 奴らの街を焼き払え!」
 高らかな男の声が、虐げられし者達の心を一つにする。大きなうねりとなって、大地を揺るがす。
「殺せ、殺せ、奴らを殺せ! 皆殺しにしろ! 神の裁きを、奴らに!」
 砂煙を上げ、怒声と憎しみが一塊となって地を走る。溢れる怒りに空気が震え、遠く空までもが蒼ざめる。
 もう、誰にも止められない。もう、誰にも――。
 きつく見据える視線の先で、大軍が東へ進路を取る。真っ直ぐに、東へ。
 東――?
「ユーリ!」
 血相を変え、デグランの元に走り寄る姿に、テッドが声を上げる。
「おい、どこへ」
「ハラトーマへ行く」
 とんと大地を蹴り、ユーリがデグランに飛び乗る。
「彼らは北寄りの道を通る気だ。セガピムのいる南のうねを避けて。だから、そのうねを超え、南東に進路を取れば。彼らより早く街に着けるかもしれない」
「それはそうだが」
 今にも駆け出そうとするユーリのデグランを押えて、テッドが叫ぶ。
「それでどうなる? お前が行って、一体」
「領主に仕える占師、そうガジャが言った。ガーダのことを」
 ユーリの目が、ガジャに据えられる。ミクが、鋭く言う。
「確かに、私もそう聞きました。ガジャ、あなたはガーダを知っていたのですか?」
 その口調と、険しい視線にたじろぎながら、ガジャが呟く。
「ガーダ? ガーダなんて、俺は知らない。俺が知っているのは、最近、領主の側近になった者の中に、魔術師がいるという話だけだ。錆色の衣を着た占師、そいつがな。全ての政は、その魔術師が吉凶を占い、決めているって話だぜ。詳しいことは分からないが、とにかくそういう噂を」
「噂?」
 ミクの眉が上がる。
「実際に見たわけではなく、噂なのですね?」
「それはそうだが」
「しかしその噂、俺達も聞いたよな」
 口篭ったガジャに代わって、テッドが言う。
「モルスが言っていた。領主に取り入った占師が、どうとかって」
「とにかく、僕はハラトーマへ行く」
 決然とユーリが言う。
「何ができるかは分からない。何もできないかもしれない。仮に、占師がガーダだとして、対峙することができたしても。あの力の前では、やはりどうすることもできないかもしれない。それでも」
 きっと砂の先を見つめる。漆黒の瞳が、深い輝きに満ちる。
「まだあそこには、救える命が残っている」
 テッドの手から、ユーリのデグランが離れる。半ば呆然と、その姿を見送ったテッドの頭上に、ミクの声が降り注ぐ。
「テッド、後を頼みます」
「頼むって、おい」
 いつの間にか、自身もデグランに飛び乗ったミクに、そう声を投げる。
「俺を置いていく気か?」
「サナとティトだけ残すわけにはいかないでしょう」
「しかし――」
「わたしは大丈夫」
 胸の中のティトをしっかりと抱きながら、デグランの上でサナが言う。
「わたしなら、大丈夫よ。ガジャ達もいるしね。一足先に、カシュカルまで行って待っているわ。ねえ、そこまで一緒に行ってくれるでしょう?」
「俺達――が?」
 勢いに押され、戸惑いながらもシャグ族達が頷く。
「まあ、一緒に行くだけなら」
「ほらね、だから行って」
「サナ」
「早く行って!」
「テッド、後ろに乗って下さい」
 テッドは凛とした瞳を向けるサナを見上げた。一つ頷き、後ろを向く。ミクの伸ばした手を借り、デグランに跨る。そして。
 サナは、砂の上に刻まれた、一筋の道を見やった。瞬く間にテッドとミクの姿は小さくなり、砂煙の中に掻き消えた。ユーリは、そのまた先だ。盗賊達の軍勢も、もはや遠く霞んでいる。
 静寂が戻る。再び、風が止まる。失われた命を悼む間もなく、通り過ぎていった者達の代わりに、せめて、せめて。
 サナは、ティトをラドに預けると、デグランから下りた。大きな穴の縁に立つ。そこに膝をつく。
 確か、ソン族は……ロナ族は……。
 サナは両手を砂につき、そして額をその上に乗せるようにして身を屈めた。弔う者もなく死した者達に、サナは静かに祈りを捧げた。

 

 
 
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