蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第七章 道なき道  
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 <道なき道>

 

「もう、いいの」
 かけられた声に、ミクは後ろを振り返った。海の上の強い風に煽られ、髪が視界を塞ぐ。それを右手で押えながら、サナに向って微笑む。
「ええ、大丈夫。この通りです」
 軽く左足を上げ、とんと降ろす。
「良かった」
 サナの表情がようやくほぐれる。
 あの時、血の匂いでむせかえるハラトーマの街を、ミク達は必死で駆けた。追ってきたのは炎と、そして我を失った人々。それらを振り切り、時に押し退け、街の外へと逃れる。だが、そこに広がっていたのは、果てしない砂の大地。さ迷い歩いて、どこかに辿りつけようはずがない。前に進んでも後ろに戻っても、生きる道はない。
 汗と血で濡れた下肢を砂に浸しながら、ミクは呻いた。
 だから、追ってこなかったのか。わざわざ手を下さずとも、火に焼かれるか、狂った人々に殴り殺されるか。それとも砂漠で枯れ死ぬか、いずれかであろうと、ガーダは――。
 肩から崩れる。ユーリの重みが体にかかる。引きずられるようにテッドも倒れ、荒い息を吐く。
 ふと、傍らのユーリが、あまりにも静かであるように思い、ミクは震えた。
「ユーリ……ユーリ……」
 低く、呪文でも唱えるように呟き、息を確かめる。
 呼吸はある。体も温かい。大丈夫――大丈夫。
 星明りに照らされたユーリの顔が、不思議なほど穏やかに見えることに、なお不安を覚えながら、自身に言い聞かせる。
「大丈夫……大丈夫」
 息だけの声が震える。そのうち歯が、がちがちと鳴り出す。眠るユーリの向こうで、テッドの乱れた長い髪が苦しそうに蠢き、ミクの方を向く。
「……くそっ」
 そう呟いたように思ったが、その時ミクはすでに、意識が朦朧としていた。覚えているのは、テッドがぼろぼろになったリャンを引き千切り、それで自分の太腿を強く縛ったところまで。それからのことは、大分後になってから聞かされた。
「天使か女神か。とにかくそう思った」
 冗談とも本気ともつかぬ顔で、テッドが呟く。
 あの後テッド自身も、左肩の怪我と疲労に、残るわずかな生命力を急速に失った。ユーリに覆い被さるようにして倒れる。砂の地平線が、視界を縦に分断する。映る景色が暗闇の中に沈み行き、そこに影が……。
 テッドは、塞がりかけた瞼を一度強く閉じてから、それを開けた。影を見る。輪郭が輝く。そしてその輝きが、大きく揺れながらこちらに走り寄ってくる。
「テッド!」
 高い少女の声でそう叫んだ影は、デグランから転がるように落ち、砂の上に降りた。片足を引きずりながら、そのまま駆ける。
「テッド!」
「……サナ?」
 それで、テッドの記憶も途切れる。
 大変であったろうと思う。そこまでも、そしてその後も。事細かく話してくれたわけではないが、容易に想像がつく。
 エナマ村の惨劇の後、サナ達はいったん南へ向った。盗賊団で膨れ上がる北のルートより、セガピムの潜むうねの方がまだ安全であるというガジャの判断だった。いざという時は、俺を一人残していけと豪語し、うねを超える。幸運にもセガピムに襲われることなくそこを抜け、さらにベゼラムという小さな村で、デグランをもう一頭手に入れることに成功する。足を速めてカシュカルの港を目指す。だが、アクドーラという町、北西にハラトーマ、南にカシュカル、北東にベゼラムを睨むこの町で、彼らの目的地は変わることとなる。実はゼンクト号の船長ゼトスの命で、二人の水夫がアクドーラまで出てきていたのだ。
 ゼンクト号の乗組員達は、ただのんびりと港で遊んでいたわけではなかった。常に新しい情報に気を配り、いつでも出航できるよう準備を進めていた。そんな折、北方の町ラディーナからの船が一つの情報をもたらす。ニンダマーヤにほど近いバートマという町で、ソン族とロナ族の間で小競り合いが起きた。それだけならまだいいが、事態の収拾に、ダンデマル族の軍が動いたというのだ。南部一帯で大多数を占めるソン族は、不当に自分達を虐げるロナ族に強く反発している。何より、そういう構造を作ったダンデマル族に深い恨みを持っている。この争いは、シュイーラ国全土に飛び火するかもしれない、と判断したゼトスは、急いで行動を起こした。
 場合によっては港が封鎖されてしまうことを考え、船を移動させることにする。カシュカルから海岸沿いに北西へ、ちょうどハラトーマの真西、十五キロの位置にある静かな入り江に狙いをつける。そしてその旨を伝えるべく、クドーとガルの二人をハラトーマまで使いに出す。サナは、その途中の二人とアクドーラで出会ったのだ。

 
 
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  第七章・1