蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第七章 道なき道  
                第五巻・第八章へ
 
 

 北の町でそのような武力衝突があったことを、ミク達は知らなかった。砂に覆われたこの国では、陸路より海路を伝う方が、物も情報も早く流れるのだろう。とにかく、その船長の機転のお陰で、サナ達は急ぎハラトーマへ向い、敗北に打ちのめされ、冷えた砂漠の中でただ死を待つしかなかったミク達と、巡り合うことができたのだ。
 傷付いた三人をデグランに乗せ、サナ達は砂の中を一昼夜、さらにもう一つ夜が来るまで休まず歩き続けた。ガジャに肩を借りたとはいえ、サナの足で砂漠を歩き続けることは、想像を絶するものがあっただろう。それはもちろん、肩を貸したガジャも、代わる代わるティトを背負って歩いたラドとゴラも。そして、揺れる甲板の上では勇ましくとも、絡みつく砂は未経験の二人の船乗りも同様で、入り江に辿りついた時は、デグランに乗った三人より、船長には彼らの方が危うく見えたそうだ。
 青い海原を、そのまま映す色の瞳に向って、ミクが言う。
「大変な苦労をさせてしまいましたね。それに心配も」
 その声に、サナが少し照れくさそうな微笑を見せる。
 ミクは左の大腿部に、大きな損傷を負った。テッドの肩の傷も深かった。もし、ゼンクト号よりの伝令が、クドーとガルの二人でなければ、今頃はお互い足一本、腕一本、失っていたかもしれない。感染症を恐れるあまり、早々と手足を切断した後、傷口を沸騰したタールに浸されるようなことに。
 だが、長い航海中、テッドの助手をかいがいしく務めた彼らは、医療器具の使い方も薬の処方も心得ていた。ミク達に適切な応急処置を施し、船に戻った後は、テッドの一番弟子である船医フェルドウェルの指導のもと、治療にあたった。片足、片手、そして何より命を、彼らに救ってもらった。だが――。
「悪い、多分跡が残るだろう」
 傷はまだ完全に癒えぬものの、すっかり元気を取り戻した口の悪い名医に、ミクはそう告げられた。ミク自身はそのことに、何の不満も文句もなかったのだが、一人サナが不安を覚えた。日に何度も、ちゃんと歩けるようになるのかと、テッドの下に尋ねに行ったらしい。
「いい加減にしろって、怒られちゃったわ」
 金の髪を、風に遊ばせながらサナが続ける。
「俺の診立てが、そんなに信用できねえのかって」
「困ったものですね。私のことだけではなく、テッド自身をも心配して、側に来てくれていたというのに」
「わたしは――そんな」
 サナの口元が、わずかに歪められる。
「誰かをだしにするような、そんなこと」
「分かっています」
 ミクが微笑む。
「あなたが本気で私の足を心配してくれたことは、よく……。ありがとう、サナ」
 少女の唇に、また微笑が戻る。それを見据えながら、ミクは口を開きかけ、閉じた。
 ユーリは?
 と、問いかけようとして止まる。
 彼に、大きな怪我はなかった。だがそれは、体に限ることであって心は違う。いや、心も。ブルクウェルでガーダと対峙した時のような、ダメージは受けていない。あの時のように、気持ちが混乱し、錯乱するようなことは今回なかった。ただ。
「ゼトス船長の話だと、後十日ほどでセンロンの港に着くそうよ」
 高めの、少し硬質な声でサナが言った。
「そこから内陸のアマシオノまで、さらに八日ほどかかるらしいわ。確かもう一つの空飛ぶ船が、その近くにあるのよね」
 サナの言葉に頷きながら、ミクは思った。
 彼女の存在は、救いだった。単に、あの砂漠から助け出してくれただけではない。ユーリは元より、テッドも自分も、体はすっかり良くなったというのに、動くことができなかった。次に何をすべきか、考える力がなかった。燃え崩れるハラトーマの街で、モルス達は一体どうなってしまったのか。結局礼の一つも言えないまま別れることとなったガジャ達は、無事にニンダマーヤに辿り着いたのか。彼らの姿をぼんやりと思い出しては、ただ後悔の念に沈む日々が続く。
 そんな時、てきぱきと進むべき道を示してくれたのが、サナだ。もちろんそれは、彼女があの力を、直に受けていないからこそ為し得たことである。体よりも先に心を平伏させた、ガーダの力を。
 あの巨大な力に、自分達は敵わない。では、諦めて、後ろを向いて逃げればいいのか。それはできない。そもそも、カルタスのどこに隠れようとも、ガーダの破壊の手から逃れることなど不可能だ。ならば、ただ息を殺し、震えながらここに止まっていればいいのか。無駄な足掻きをしない分、楽ではあるが、結果はやはり同じだ。となると残る道はただ一つ。前に進むだけだ。無論その道の先にあるものも、同じ結果であろう。だが、後ろを向いたり、立ち竦んだりするのとは違い、前に進む道には未知なるものがある。そこに、可能性の欠片が落ちている場合がある。たとえ万に一つだとしても、それがある以上、ここで諦めるわけにはいかない。サナは、それを示してくれたのだ。
 もともと世界に道などない。人の心がそれを作る。何もない世界に導を見出す。後はただそこに向って歩くだけ。道は、その跡にできるのだ。
 自分は五日の時を費やし、気持ちを切り替えた。テッドは七日をかけて、ようやく顔を前に向けた。そして、ユーリは――。
「十日もあれば、ユーリもきっと元気になると思うわ」
 ぽつりと控えめに呟いたサナに、ミクの表情が緩む。
「ええ」
 と、一言だけを返し、再び海原に視線を向ける。
 赤い髪が風に靡き、炎のように揺れる。澄んだグリーンの瞳が、彼女本来の冴え冴えとした色を湛える。
 それを見届けると、サナは自分も船の縁に両腕を預け、彼方を見やった。波涛が煌く。太陽へと続く光の道筋が刻まれる。
 二人は無言でそれを眺めた。互いに強く、心に確かなものを覚えながら。

 

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ    
  第七章・2