蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第九章 予兆(2)  
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「あっ、人だ!」
「ティ、ティト」
 急に立ち上がったティトを押えつけようと、ユーリは顔を上げた。ほんの一瞬、視線が正面を捉える。
 金色の輿の前に、一人の男が立っていた。黒――と一言、イメージを持つ。ただ衣の色がそうであったからではない。その長身の男は、真っ直ぐな長い黒髪を持っていた。しなやかな輝きが、遠くからでも見てとれる。肌は周りにいる者達より一段白く、そこに端正な顔が納まっていた。瞳も、イメージの色。髪よりも、そして深い艶のある長い衣よりも、強く黒を感じる瞳だ。
 男の目がすっと横に動いた。ユーリと視線が合う。微かにその目が微笑む。
「――あっ」
 小さく声を漏らし、ユーリはティトを強く抱えた。深く頭を垂れ、肩を揺らして息を吸う。
 何――なんだ?
 吸った息を荒く吐く。
 一体、何が――。
「痛いぞ」
「…………」
「おい、ユーリ、痛いぞ」
「ユーリ?」
「あっ」
 ミクに咎められ、ユーリは我に返った。強くティトを押えつけていた手を緩める。じっとりと額に滲んだ汗を拭う。
「どうやら休憩ってわけじゃなかったようだな。行列が動き出したぜ」
 ずっと上目遣いで様子を伺っていたテッドが呟く。その横で、ミクはもう一度同じ言葉を紡いだ。
「ユーリ?」
「あ、うん」
「大丈夫ですか?」
「うん」
「おい、どうした?」
 周囲の緊張がとけるのを受け、立ち上がったテッドがユーリの顔を覗き込む。
「真っ青じゃないか。一体どうした? どこか痛むのか?」
「いや、そんなんじゃなくて。あの、シャン国王と目が合った瞬間、体が……いや、体じゃないな、心が、そう心が急に」
「よく――分からんぞ」
「僕も……よく分からない」
「おい」
「ごめん、もう大丈夫だから」
 納得しかねる表情で、なおも見つめるテッドにそう返す。
「ティトも、さっきはごめんね」
「大丈夫なら、それでいいが」
「おいらも、それでいいぞ」
 テッドの真似をし、ティトが腕を組む。その姿に、小さく一つ息を零すと、テッドはミクを振り返った。
「ひょっとしてお前さんも――何か感じたのか?」
「いえ、特に何も。ただ」
 すでに行列の見えなくなった道を見やり、ミクが呟く。
「存在感のある人物でしたね。王の貫禄とでもいうのでしょうか。何か言葉を交わしたわけでもなく、ただ離れたところから垣間見ただけですが。とにかく、圧倒されるものがありました」
「まあ、人となりってのは、自然と外見に出るもんだが。まだ若かったよなあ。アルフリート王くらいか」
「テッド、いつの間に王の姿を?」
「そういうお前さんだって、盗み見したんだろうが」
 二人の会話に、サナが混じる。
「シャン国の人間にしては、長身だったわね。肌の色も少し白くて、オアバーダ国の血でも混ざっているのかしら」
「何だ? みんな同罪か?」
 そう言って笑うと、テッドはユーリの方を向いた。
「どうする? もう少し休んでいくか? それとも早めに村に戻るか。村の方が、ゆっくりと体を休められると思うが」
「僕はどっちでも。だけどティトは、まだ遊び足りないんじゃ」
「もういいよな、ティト。今から村に帰るぞ」
 その声に、ティトは不満げに頬を膨らませた。
「帰るのか?」
「ああ。戻ったら、俺が遊んでやるから」
「いらない」
 即座にティトが答える。
「おいらはユーリと遊ぶ」
「お前ねえ」
「とにかく決まりですね。直ぐに出立したいと、ササノエに伝えてきます」
「ああ、頼む。おいユーリ、途中で具合が悪くなったら直ぐに言えよ。サナ、輿のところまで一緒に」
「結構よ。一人で大丈夫。ティト、行きましょう」
 大仰に肩を竦めるテッドの横で、ユーリは口元に笑みを浮かべた。そして直ぐにそれを掻き消す。
 体にも心にも、もう異常は感じない。だが、あの時の感覚は、記憶として残っている。なぜ、シャン国王の目が自分を捉えた瞬間、心がぐらぐらと揺らいだのか。不安か、恐怖か。負ではなく、あるいは正の感情なのか。残念ながらそれを見極めるほど、自分の力はまだ回復していない。
 今改めて冷静に考えてみれば、シャン国の王とは何の関係もないように思える。たまたま偶然彼と目が合った時、災害が心を襲った。喩えるなら、いきなりの大地震に、ただその身が翻弄された。それが心の中で起った、そんな感じだ。でも――。
 その災いとは、一体?
「ユーリ?」
 問いかける声に、慌てて笑顔を向ける。その反応に強く顔をしかめるテッドに、心の中で一言詫びてから、ユーリはしっかりとした声を放った。
「大丈夫。さあ、村に戻ろう」

 

 
 
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