蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十一章 神の宿る山(2)  
           
 
 

 幾筋もの銀の帯が、空と大地を力強く繋いでいた。美しく、かつ荘厳な趣き。所々突き出した濃灰色の岩肌の周囲で、水煙がたゆたうほどの水量がありながら、荒々しい印象はない。あくまでも気高く、心の隅々まで洗い流していくような清らかさがある。
 テッドは、滝壷の方に視線を転じながら、さらに足を進めた。そしてまた深い息を零す。
 美しい青だった。澄んだ青だった。息を呑むほどの見事な青は、前にも見たことがある。キーナス王家の墓、湖に浮かぶ小島の神殿の、まるで吸い込まれそうな錯覚をもたらす青。しかしその時の青が、神殿という人工物を通すことによって生まれた神秘であるのに対し、目の前の青はどこまでも自然だ。不可思議な、衝撃的な感銘はないものの、深く染み入るような感慨をもたらす色。自らの鼓動が、天をそよぐ風が、果ては時の流れまでもが、ゆったりとした静けさの中に沈み行くような、そんな感覚を覚えさせる青。
「いつ来ても、ここは、いいなあ……」
 無意識のうちに漏れ出たであろうギノウの言葉に、ああと息を返す。目の前に広がる幽玄とした世界に、再び心を浸す寸前、はっと我に返る。
 アリエスは?
 素早く周囲を見渡す。
 アリエスはどこだ?
 パルコムを取り出し、位置を確認する。
 この滝の……向こう?
 テッドは視線を、切り立つ山肌の下から上へと滑らせた。頂上を捉え、絶望の息を吐く。
 あの頂上に、激突したのか……。
「どうか、なされましたか?」
 心配そうに顔を覗き込みながら、ギノウが尋ねる。その表情に改めて、自分がどれほど落胆しているのかをテッドは知った。
「ああ……いや……」
 強い失意に、言葉を見つけられないまま声を返す。間を置き、また頂上を見上げる。
「あの……頂上へは」
「はい?」
「……登ることは」
「この崖をですか?」
 ギノウがテッドと共に、滝の頂上を見やる。顎を上げ、遥か彼方を見通すかのように、片手を翳す。
「足場がないわけではありませんが、あの傾斜にあの高さでは」
 ――高さ。
 冷たい水に打たれたかのように、テッドは目を見開いた。背後を見る。上半分を失った、無残な姿の木々。直ぐ手前の木に至っては、根元近くまで抉れている。
 明らかにアリエスは、地面すれすれにまで高度を落とし、この場所に突入した。道筋からいくと、ちょうど滝壷に突っ込む形だ。だが、そこにアリエスの姿はない。沈んだのか。にしては、パルコムの示す位置と狂いがある。座標からすると間違いなく、アリエスは滝の真上、崖の頂上ということになる。
 いや、待てよ。ひょっとして――滝の後ろか?
 テッドは勢いよくギノウを振り返った。
「あの向こう、あの向こうはどうなっている?」
「向こう?」
 質問にではなく、つかみかからんばかりのテッドの様子に、ギノウが目を丸くする。
「あの崖の向こう側という意味ですか?」
「違う、滝の直ぐ後ろだ」
「ああ」
 ようやく合点のいった様子でギノウは頷き、にっこりと笑った。
「今、御案内致します。なかなか、面白いですよ」
「ってことは、やっぱりあの裏に、開けた空間があるんだな」
「なんだ、もうどなたかにお聞きになっていらしたんですね。残念だなあ。せっかく驚かそうと思っていたのに」
 飄々とした笑顔を見せ、ギノウが先に立って歩く。滝壷に沿ってぐるりと左から回り込む。体の芯まで清めてくれそうな水飛沫が、頬にかかる。
「足元、注意して下さい」
 滝を間近に臨む位置で、ギノウは止まった。先にもう地面はない。足元の泥をこそげるように岩に擦りつけると、ギノウはためらうことなく滝壷の中に右足を浸した。そして振り返る。
「この滝壷はかなり深くて、しかも急に落ち込んでいますから。私が踏み入れた所を忠実に辿って下さい。滑りやすいので、気をつけて」
「ああ、分かった――と、ちょっと待った」
 自分も右足を滝壷の中に差し入れながら、テッドが尋ねる。
「あいつら、置いていくのか?」
「ああ」
 滝壷より遥か手前で立ち止まったままの人足達を、ギノウが仰ぐ。
「彼らは呼んでも来ませんよ」
「何で?」
「それは」
 ギノウが、例のさらりとした笑顔を見せる。
「彼らにとって神とは、あくまでも拝み、敬い、恐れ多しと平伏す対象なのです。そこにいかなる真実があるのかを、探求する存在ではない」
「うん――ん?」
「この滝は、神ですから」
 ギノウの表情がさらに緩む。
「彼らにしてみれば、私達の行為は、いわば尊き神のお顔を、足蹴にしているようなものだということです」
「まあ、言われてみれば、確かに」
 沈める足を、心持ちそっと降ろしながらテッドが呟く。

 
 
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