奇跡のからくりは、この湖にあった。澄んだ満面の水は、滝壷と同質のもの。つまり、両者は深い底で繋がっていたのだ。地上の目に見える引っかき傷のような入り口と違い、水の中の通路は、アリエスが通ってあまりある大きさだった。周囲の木々をなぎ倒しながら滝壷に突っ込んだアリエスは、いったん深く潜り、そしてこの洞窟内の湖に浮上した。アリエスにとって、これは二重の幸いだった。
一つは、水の上に落ちたこと。地面に激突するよりは、遥かに衝撃が和らぐ。カルタスは海の比率が全体の八割強と地球以上に高いため、水上に落下する可能性は大きかったのだが。てっきり陸地だと思っていたこの場所に、満々たる水があったことは、間違いなく幸運だったと言えるだろう。
かといって、ここが大きな湖か何かであっても困る。人目の問題があるからだ。仮に霊峰として容易く人が踏み入らぬ場所であっても、皆無ではない。湖にぷかりと浮かぶアリエスを、誰かが見つけてしまったなら。十ヶ月もの間、そこに放置されたままであったかどうかは、かなり疑わしい。何やらおかしな物があると、村人達に弄りまわされるか。あるいは役人に報告され、都まで延々と引いていかれるか。どちらの場合もそうなってしまったら、簡単に取り返すことはできないだろう。
だが今、このアリエスの存在を知る者は。
テッドはギノウを振り返った。先ほどと変わらぬ怪訝な表情に加え、純粋な好奇心を映す瞳を見る。
もうしばらくアリエスには、ひっそりとここに止まってもらう必要がある。仮に全く損傷が見られなかったとしても、その点検に最低十日は必要だ。修理となれば、さらに多くの間、アリエスの存在を隠し続けなければならない。ギノウ一人の胸のうちに、収めておいてもらわなければならない。
さて、どう誤魔化すか。
と、思案にくれようとした矢先、ギノウが口を開く。
「御存知なのですか?」
「――ん?」
ギノウが真っ直ぐな目をテッドに向ける。
「これが何なのか」
「ああ――いや、まあ」
「ありえす……とは、いかなる意味なのです?」
もごもごとテッドが口を動かすより早く、ギノウが畳みかける。
「多少なりとも私はキーナスの言葉を存じておりますが。初めて聞く単語でしたので」
「ええと、まあ――星の名前だ、星の」
「どの?」
「え?」
「どの星の名です?」
そこで初めて、テッドはこのギノウを説得するという作業が、恐ろしく難題であるということに気付いた。下手な言い訳はできない。頭が切れる。かといって、懐に金を忍ばせるという類も、彼には通用しない。そういう質の人間ではない。何よりギノウの身分が厄介だ。いかにも勝手気ままな自由人といった様相ではあるが、彼はれっきとしたウル国第二王子だ。たとえ父である王に反発していたとしても、ウル国になにがしかの不利益をもたらされるとなれば、話は別だ。彼の目に、アリエスはどう映っているのか。いや、それよりも、キーナス国よりの使者という肩書を持つ、自分達の立場の方が問題だ。もし、この得体のしれない物をウル国に持ち込んだのは、キーナス国であるなどということになりでもしたら。
こうなったら、やはり強行手段か。
心の中で、テッドは苦々しく呟いた。