蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十一章 神の宿る山(2)  
          第十二章・1へ
 
 

 あらかじめ、ミクとは打ち合わせをしていた。アリエスが見つかった場合、次にいかなる行動を取るのか。道中はともかく、落下地点に同行する人数は極力絞るようにと、ミクが声を潜めて言った裏には別の意味が含まれていた。
 脅して追い払える相手なら、銃を翳して退ける。難しいようなら、一時的にその者の自由を拘束する。
「どうか、なされましたか?」
 押し黙ったテッドを伺うように、ギノウが小首を傾げた。それを強く見据えながら、テッドは腹を決めた。
「うお座とおうし座、その間に挟まれている星座の名前だ。神話に出てくる、空飛ぶ黄金の羊の形に、星が並んでいる」
「ウオザ? オウシザ? 空飛ぶ羊の神話?」
 ギノウの黒い瞳が、ちかりと輝く。光に鋭いものが混じる。
「キーナスの神話――ではないですよね」
 抑揚のないその声に、テッドはにやりと笑った。
「随分と詳しいな。大した知識だ」
 言葉を紡ぎながら、そっと腰に手をやる。ギノウの目の奥に宿る揺らめきを、見切らんとする。
 懐疑、嫌疑、遅疑――いや、すでに結論は。
 ふっとギノウの表情が変わる。
「ありがとうございます」
 からっとした明るい声で、ギノウは言った。いつもの笑顔を見せつつ、言葉を続ける。
「好きなんですよ、子供の頃からこういうことが。剣を振り回すより、本を読む方が楽しくて。いろいろなことを知るのが面白くて。でも」
 ギノウの顔が、すっと横を向く。視線がアリエスに定められる。
「残念ながら、人一人、知り得ることには限界がある。知れば知るほど、この世には知らないことがたくさんあるのだと。知らずに終わってしまうことの方が、遥かに多いのだという事実に打ちのめされる。それでも、止めることができないのです。何か一つ、新しいものに出会う度、私は全身が震えるほどに喜びを感じる。その感覚に抗うことができないのです」
 言葉の終わりを溜息に変えて呟くと、ギノウはテッドを振り返った。
「さて、私もこの中を見たいのですが、よろしいでしょうか?」
「お前……」
 思いもよらぬ展開に、テッドが言葉に詰まる。
「それでいいのか? アリエスがどんな物か、よく確かめもせず。まあ、確かめようがないともいえるが」
「その通りです。私にはこれが理解できない」
 口元に、涼やかな笑みを浮かべてギノウが言う。
「でも、これは物でしょう? どれほど大きな物であっても、見たことのない形、材質であっても、物であることには変わりない。物は、人が使わなければ何もできない。案ずるべきは物ではなく、それを使う者達です。もし、誰かが私に、あるいは我が国に、害を為そうと考えているのなら、その時は――」
「うっ」
 引き詰めるように、テッドは小さく息を吸った。吐き出すタイミングを失ったまま、直ぐ目の前にあるギノウの唇が動くのを見る。
「斬る」
 囁くように紡がれた声に、テッドはごくりと喉を鳴らした。その動きが、そこに宛がわれた固く冷たい感触を、さらに強く意識させる。
 間合いは、一瞬にして詰められた。レイナル・ガンは、腰から抜いたところで止まった。銃口が狙いを定めるより早く、ギノウの剣がテッドの動きを封じてしまったのだ。
 なるほどね。
 また一つ、口の中に残る唾を呑み込みながらテッドは思った。
 意味合いは少し違うが、物の力を左右するのが人であるってのは、この状況も同じだな。銃と剣、物はこっちの方が上等だが。それを扱う腕は……。
 低い声でテッドが呟く。
「人が悪いよな。剣を振り回すのは苦手だなんて、大嘘つきやがって」
「嘘じゃないですよ。現にほら、あんまり慌てたので」
 ギノウの目がふっと笑う。刃の冷たさが、テッドの喉から離れる。
「峰打ちになってしまいました」
 嘘つけ。
 大きく息をつきながら、テッドは心の中でそう悪態をついた。
 俊敏な身のこなし、見事な寸止め。いくら剣術の心得がない者相手でも、並みの力量でできる技ではない。間違いなく、自分の肌に静と添えられたのは、切れる方だった。だがギノウはその刃を引かなかった。余裕の為せるゆえか、あるいは苦手という言葉に若干の真意が含まれているためか。直感的にテッドは、この男は人を殺すことを恐れていると感じた。
 互いの息がかかるほどの位置で睨み合ったあの時、テッドはギノウの瞳の奥が、激しく揺らぐのを見た。剣を振り回すのが苦手なのではない。その結果起ることに、彼は耐えられないのだ。彼の剣が、その卓越した技量ゆえに、数多の人の血を吸うことが怖いのだ。
 しなやかな動きで剣を鞘に納めるギノウを見据え、テッドは自分も銃を腰に仕舞った。そして言う。
「お前の腕はよく分かった。この武器を預かってもらっても良かったんだが、その必要はないようだな。さあて」
 くいっと顎で、アリエスを差す。
「中に入るぞ。ぴったり後ろについてきてくれ。いつでも俺を斬れるように」
 ギノウの顔に、ほんのわずかだけ驚いたような色が走る。ささやかな反撃が成功したことを認めると、テッドはギノウに背を向けた。
 洞窟の中の湖に足を沈める。アリエスの方に向う。
 もし、ギノウに対する自分の読みが外れていたなら。いつ、殺されるかは分からない。それまでに、アリエスの整備を終わらせなければならない。
 恐怖や不安よりも、その気持ちに急かされながら、テッドは足を進めた。

 

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第十一章(2)・5