蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十二章 信なるもの(3)  
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      三  

 ミクは、小さな箱のような木の器に、ぱらぱらと白く固い粒を注ぎ込んだ。フスという穀物を一度炊いて干したもの。そこに水を注ぎ込み戻して食する、いわば保存食だ。味は、ほとんどない。美味とは言えない。ゆえに、程よい塩味やら酸味やらで味付けされた漬物を添える。それなりに、満足にいく食事となる。
 しかしミクは、一口含んだところで器を置いた。昼前からすでに四時間歩き続けたこともあり、空腹である。ただし、自覚はない。焦る気持ちが、ミクからその感覚を奪っていたのだ。
 一刻も早く、アリエスのもとへ。
 とはいえ、まさか一度も休憩を取らせず進むわけにはいかない。地べたに座り込み、勢いよくフスを掻き込む人足達を、改めてミクは見やった。
 都より同行した三人の兵士は、オサノガセ村に止まった。「ここからは私が御案内致します」というギノウ王子の言葉に、彼らは素直に従った。もし何らかのアクションがあるとすれば、その瞬間であろうと危惧していただけに、拍子抜けする。しかも王子は人足を伴っていた。食料を調達した後、王子と入れ違いに山へ登ったとばかり思っていたが。野宿ばかりの生活が続いたことを考え、どうやらギノウが村で一晩過ごすようにと言い渡したらしい。ということはつまり、今日の未明、まだ夜が明けきらぬうちからミクの到着に合わせ王子が山を降りた、その時からずっと、テッドは一人きりであったことになる。つまり、自由であったことに。
 仮に、王への密かな伝言を頼むのが目的であったとしても、テッドを完全に自由とするはずはない。ミクさえ押えれば、という解釈もあるが、今のところその兆しすらない。唯一心配なのは、昨日からのユーリ達の動向だが。アクシデントが起きたと思われる時間、その前後の光点の動きを確認することで、ミクは危機感を薄めた。
 真っ直ぐに、点はずれた。ずれてそのまま動かない。場所は恐らく庭の池。もし、パルコムがユーリの懐に入っているのだとしたら。ユーリは部屋を出て、そのままぽおんと走り高跳びのごとく跳ね、庭の池に飛び込んだことになる。そして腰くらいまでしかない池に、ずっと立ち竦むか、蹲るかしていることとなる。
 パルコムは、ユーリの懐の中にはない。池の中に沈んでいるのはパルコムだけだ。では、なぜそれを拾い上げないのか。何らかの諍いがあり、その拍子に池に落ちたとするならば、ユーリには無理でも敵方が回収するであろう。これはない。では、何がしかの危機を感じ、自らそこに隠すというのはどうだろう。これも可能性は低い。隠し場所として、あり得ない。第一、隠す必要がない。ウル国の人間がどう頑張っても、パルコムの仕組みを理解することは不可能だ。
 不慮の出来事が起きたことは確かだが、恐らくそれ自体は重大なものではないだろう。もし、深刻な状況であれば、逆になんとしてでもパルコムを回収し、連絡を取ってくるはずだ。そう結論付けたものの、不安は完全に拭い去れない。早くアリエスのもとへ行き、早く完全な状態とし、早く都に戻ってユーリ達と合流する。その気持ちが自然と視線を強くする。いかにも人の良さそうな人足達の顔と、穏やかで涼しげな王子の顔とを、忙しく行き来する。
 と、急に王子がこちらを向いた。小首が、少し傾げられる。
「お疲れですか?」
「――えっ?」
 ずっと急かし続けたことを暗に咎められたのかと思い、言葉に詰まる。
「いえ、そのようなことは」
「では、お口に合いませんでしたか」
 ギノウの視線がミクの手元に落ちる。ようやく意を察し、ミクは慌てて言った。
「いえ、決してそのようなことは。ただ、先のことが楽しみで。それを思うだけで気持ちがいっぱいになり、それで」
「そうですか」
 あっさりと、ギノウが納得を示す。再び横を向いた顔に、一つ安堵の息を吐く。そして今一度フスに挑む。
 どのような理由であれ、出された物を口にせずというのは、失礼極まりない。無礼なと腹を立てられても仕方ないところを、さらりと流してくれたことに感謝し、改めて口に運ぶ。
「では、お疲れではないのですね」
「うっ」
 むせる。気持ち、急いで運んだフスと、ギノウの問いかけに答えようとした息とが喉の中ほどで衝突し、激しい咳となって出る。
「すみません、大丈夫ですか?」
 急いでギノウが立ちあがり、水の入った筒を差し出した。飲み干し、呼吸を整える。やけにのどかな間合いで、遠くカラスのような鳥の鳴き声を耳にしながら、ミクはギノウに向って一つ頷いた。
 ギノウがにっこりと笑う。
「ならば」
 さっと右手が上がり、木立を指す。
「花を見に行かれませんか? この向こうにある急斜面を降りたところに、今の時期には珍しい、アラマツユスリという花の咲く場所があるのです。私が知る限りでは、キーナスにはありません。一時もかからず戻って来れますので、人足達が休んでいる間にいかがです?」
 さて、これをどう解釈していいものやら。何かの罠か。それとも、無垢な子供のごとき無邪気な誘いか。
 確か歳は十九であるとのことだったが、どうかするとそれより二つか三つ年下に見えるギノウを見据え、ミクは返事に迷った。
 その顔が、さらに幼く翳る。
「花は、お嫌いですか?」
「いえ」
 そう答えながら、ミクは思わず吹き出しそうになるのを懸命に堪えた。
 花が嫌いという男性を探す以上に、花が嫌いな女性を見つけるのは難しいだろう。それほどまでに珍しい人物に自分は見えたのかと思うと、無性に笑いがこみあげてしまったのだ。
 なるほど、テッドが全面的に信頼を置くのも無理はないかもしれない。
 心の警戒をわずかばかり解き、ミクは思った。
 胸の内の全てを明かすほど、単純ではないが。ふとした拍子に見える素直さには、確かに信用を覚える。好ましく見える。
 ミクは、フスの入った小箱を仕舞った。立ちあがり、軽く服についた土を払う。
「ぜひ、案内して下さい」
 ギノウが晴れやかな笑みを見せた。それからわずか半時。ミクと王子は、急斜面の木立の中で佇んでいた。

 
 
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  第十二章(3)・1