「この斜面を上れば、元の場所です。申し訳ありませんが、後は人足達に案内してもらって下さい」
「私は、別に構いませんが」
すでに何がしかの決意を定めたような、ギノウの顔を見据えミクが言う。
「あなたの方は、大丈夫ですか? 踊らされているのがレンエン宗の一派であることが分かっているだけで、首謀者は明確となっていない。ひょっとしたら、シャン国王様の身近に犯人がいるかもしれない。ウル国側にも、何らかの手引きをする者が潜んでいると考えた方が自然です。誰が敵であるか分からない以上、注意をしようにも限界がある。無事、国王様に事の次第を報告できれば良いですが。悪くすると、急に取って返したことを怪しまれ、都に着いた途端、襲われるようなことも」
「で、しょうね」
ギノウが小さく肩を竦める。
「敵が多勢の場合、オサノガセ村に残した兵士を加えても、こちらが不利となる。でも、だからといって、ここに止まっているわけにもいかない」
「ええ、もちろんです。なので、私達も一緒に」
「あなた方――も?」
ギノウの目が、素直に丸くなる。
「でも、あなた方は」
「三日。いえ、二日で事を済ませます。なので」
「ありがとうございます」
きりっとした姿勢で、王子が頭を下げる。
「ですが、お気持ちだけで結構。残念ながら、時間がありません」
「と、いうと?」
「ユイヤヅキのコウイツ、とは、ウタタメの祭りの日。つまり、今日より四日後のことなのです」
「四日後。となれば」
ミクが眉をひそめる。
「あなた方も間に合わないのではないですか? どんなに急いでも、辿りつくのは五日目となってしまうでしょう。もし、それまでにシャン国王が」
「秘策があるのです」
「秘策?」
「馬です」
ギノウが笑みを見せる。
「オサノガセ村より北にある小さな平原で、アルビアナ大陸種の大型馬を繁殖しているところがあるのです。そこまで歩けば一日、走ればもう少し早く着くでしょう。明日の午後には馬を手に入れ、都まで飛ばせば十分間に合います。ですので、御心配は無用。それでは」
王子が踵を返す。その後姿になおもミクが声を放つ。
「待って下さい。馬は何頭?」
「はい?」
「その場所には、何頭の馬が飼われているのですか?」
「数十頭、と聞いておりますが」
「では十頭」
急ぐギノウの足を止めぬよう、ミクも並んで山を下りながら言う。
「空馬を含め、全部で十頭、用意してください。期限は明日の日没。落ち合う場所はオサノガセ村。どのみち都へ行くには、再び村を通られるのでしょう?」
「それはそうですが、しかし」
「半日で済ませます。テッドは無理だと思いますが、私は必ず。万が一、時間までに戻れない時は、馬二頭を残し、先に行って下さい。後から追いかけます」
「でも……なぜ?」
ギノウが素朴な疑問を口にする。
「なぜ、そこまで」
「やり方が気に入らない。という理由では不足でしょうか」
口角をわずかばかり上げ、ミクが言う。
「まかり間違えば、ウル国とシャン国の間に争いが引き起こされてしまう。関係のない多くの者が争乱に巻きこまれてしまう。国を問わず、身分も問わず、旅人である私達もその例外ではない。つまりこれは」
ミクのグリーンの目が、王子を見据える。
「私達にとっても、大いに迷惑なのです」
「ミク……ヴェーベルン殿」
「さあ、もう行って下さい。私も急ぎ、人足達のところに戻ります」
「分かりました。では、明日」
「ええ」
互いに頷き、背を向け合う。一歩、二歩、三歩目で走り出したギノウの足音を耳にしながら、ミクも斜面を駆け上る。
気に入らない。
胸の奥で、疼くような思いに顔をしかめる。
火のないところに高く煙を立てようとするやり方が、気に入らない。確かに火種はある。だが、燃え盛るほどではない。それを敢えて掘り出し、たき付けるような真似は。
ミクの表情が一層締まる。
過去に、見たことがある――。
「直ぐに出発します。急いで下さい」
斜面を登りきると同時に、ミクはそう声を放った。事情の分からぬ人足達が、怪訝な顔を向ける。彼らが食事を終えたばかりであること、ようやく今からほっと、一息つかんとしていたことを理解しつつも急き立てる。急用のため、王子が山を降り都に向ったことを手短に伝え、先に立って歩く。
人の良い人足達が慌てて立ち上がった。
「ちょっと待ちなされ。そっちじゃなくて、こっち」
その日、予定の日没より一時間ばかり早く、ミク達はオロンジの滝に着いた。