蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十四章 不実なる真実(3)  
           
 
 

「うっ」
 びしゃりと頬に刺激を覚える。血の匂いにむせる。その匂いが顔全体に張り付いていることに、ユーリは眉をひそめた。
 仰向けに転がされると同時に瞳が捉えたのは、あの女の指先だった。きっちりと揃えられた五本の指、五本の爪。それが、自分の喉下目掛け突き立てられようとした寸前、横に飛んだ。一瞬で五本とも、視界から消える。代わって赤い雫が降る。
「お気をつけられよ」
 低く静かな声が頭上で鳴った。
「恐らくこやつらはキナムツの手の者。刃の爪には毒が仕込んである」
「キナムツ……。ユズムラ家に恨みを抱くレンエン宗の生き残りか。この期に及んで狙いを違えるとは、よくよく神に見放された奴らよ」
 ミオウの言葉の後に、そう唸る声が続く。ようやく周囲の者も、事態を把握する。
「おのれ、曲者!」
「一人残らず捕らえよ!」 
「捕らえよ!」
 口々に叫び、皆が立ち上がる。剣を手に取り、暗殺者に迫る。
 この計画の実行犯に選ばれし者達は、いずれもかなりの手練であった。だが、ウル国の面々も負けてはいない。数で勝る上、武器も有利だ。いくら毒を仕込んでいるとはいえ、両の手十本の爪だけでは、破壊力とリーチに欠ける。場に座していた者に加え、廊下、外の庭にも警備の者達が駆けつけ、二重、三重と取り囲む形でぴたりと剣を向けられるに至って、暗殺者達の素軽な動きも鈍ってくる。
 すでに二人が剣の餌食となり、床に転がっていた。声も動きもないところをみると、両者とも絶命しているようだ。残るは四人、自暴自棄となり無駄な抵抗を示せば、彼らも同じ運命を辿ることになるだろう。生き証人は、一人でも多い方がいい。シャン国王に切り落とされた手首から、どくどくと血を流し続ける女の蒼白な顔を横目で見やり、ユーリは思った。
 飛び出す覚悟を決める。四人全てを救うのは無理と判断し、一人に狙いを定める。ウル国の兵に斬り殺される前に、その彼を組み伏せる機を伺う。
 しかし、ユーリが期待した時機は訪れなかった。場の緊張が、急に緩む。囲まれた四人が互いに目配せをし、構えを解く。もはやこれまで、大人しく裁きを受けんと観念する。そう、ユーリのみならず、周囲の者達皆が思った。それが、油断となった。
「押さえろ!」
「吐かせろ!」
 と、怒号が飛ぶ。
 追い詰められた四人は、申し合わせたように揃った動きで、自らの爪を強く唇に押し付け噛んだ。毒が塗ってあるという、その爪を。
 一体、いかなる種類の毒なのか。はっきりと言えるのは、その毒の強さも即効性も、素晴らしく高いということだ。
 唇に刻まれた、ほんのかすり傷程度の傷口が、血で滲む。周囲が瞬く間に紫色に膨れ、それが顔全体に広がる。膝から崩れ落ち、見開いたままの目の瞳孔が、完全に開き切る。
 しまった。
 内心で舌打ちながら、ユーリは傍らを振り返った。顔を引き攣らせ、痛みに喘ぐ女の刺客。右手はない。だが、もう一方の手が残っている。その爪にも毒が仕込まれていたなら、彼女も――。
「うっ」
 女に向かって身を乗り出しかけたユーリは、またしてもそう呻いた。
 女の命は、まだ潰えていなかった。自害は叶わなかった。しかし、彼女の目的が死であることは確かで、それは間もなく遂げられようとしていた。
 溢れる血が、さらに膨れる。両の手を失った女が、自らの血溜まりの中でもがく。その横で、何事もなかったかのようにミオウが剣を収める。

 
 
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  第十四章(3)・4