蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十四章 不実なる真実(4)  
       
 
 

 見守るようなミクの視線が、ギノウの背に据えられる。彼はもう、口を噤んでいた。話すべきことは、全て語った。後は答えを待つのみだ。しかし、返事は返ってこなかった。ウル国の人間全てが声を無くし、動きを無くし、沈黙した。
「実に……興味深い話であった」
 ミオウが言う。
「では、今度はこちらの話をお聞かせしなければなるまいな。もっとも、一目で状況はお分かりであろうが」
「ご無事で、何よりであります」
 軽く頭を下げ、ギノウが答える。穏やかな声だが、起伏は少ない。冷えた空気の矛先が、どこを向いているのか。向けられた本人が、誰よりも分かっているのだろう。感情を押し込めたまま、言葉を続ける。
「誤解も懸念に終わりましたようで」
「端から貴殿のおっしゃる誤解はなかった」
 さらりと長い髪を揺らし、ミオウが唇だけを動かす。
「代わりに、真実が残ってしまった」
「真実……とは?」
「それは」
 ミオウの口元が笑みを湛える。
「貴殿が一番よくご存知なのでは?」
 場に動きが戻る。不思議と同時に、皆が一時の混乱から脱却する。心落ち着け考えてみれば、答えは単純であった。一つの事象を片方が誤解と言い、もう一方が真実と言った。それは断定であり、決定である。互いの溝は埋まらない。少なくとも後者に、その意思は伺えない。ならば、自分達の取るべき道は一つ。どちらにつくか、どちらを正と見なすか。どちらが正しいのかではない。正しくなくとも必要ならば、正としなければならない。
 ウル国王の額に、汗が滲む。無理からに、絞りだすように言葉を零す。
「ミオウ……殿」
 じっと視線をギノウに置いたまま、ウル国王が唸る。
「もう、二十日ほど前になるか。貴殿はわしに、三国同盟の重要性をとうとうと説いて下さった。あの時のお気持ち、今もお変わりあるまいか。もし、変わらぬというのであれば」
 ウル国王の肩が、そこで大きく揺れる。
「わしにも覚悟がある」
「と、申されると?」
「起きたことに対する責任は取る、ということだ」
 ウル国王がミオウの方に向き直る。
「うやむやにするつもりはない。ぐずぐずと長引かせるつもりもない。今直ぐ首謀者の首を切って落とす。それで、お怒りをお沈め願いたい」
「国を治める王として、見事なご決断と申し上げたいところだが、肝心の部分が抜けておりますな」
 ミオウの声が、嘲笑を含んだ音色となる。
「ユズムラ殿のおっしゃる首謀者とは誰のことか。ギノウ殿が山で見かけたという、名も知らぬ男のことであろうか。確か、我がシャン国の者であるとの話であったな。となると、我が配下の一体誰を斬首に処すという――」
「違う。わしの言う首謀者とは」
 ウル国王の顔が苦渋に歪む。
「貴殿がそう思われる者――を、指す」
 音もなく、空気が騒ぐ。それぞれの胸の内で溢れる思いが、空間に流れ出す。
 何を馬鹿なことを。
 ギノウ様を生贄とするのか。
 それとも本気で、疑っておられるのか。
 だとしても、そこまで我が国が謙る必要など、どこにもない。
 だが、それら大波のごとく荒れる気持ちと併せて、微かな希望も一同は感じていた。
 このまま責の擦り合いを続ければ、行きつく先は一つだ。互いに持論を主張し、引く機会を逃し、言葉ではついに決着を見ず、どちらかがもう一方を力でねじ伏せるまで終わらない。ゆえに主君は、そうなることを避けた。恐らく、裏切り者の名にギノウ王子が示されたことで、王の心に怒りだけではなく、事実に対する疑惑の念が生まれたのであろう。
 二つの方向性を持つ感情が、暴発を押し止める。感ずるままに激昂することなく、理で判断を下す。主君の方から、引く。
 引けば、相手の反応も変わるかもしれない。押されれば、人は無意識に押し返す。だが、押してくると思った相手が、すっとその手を下げてしまったら、もう終わりにしようと頭を垂れてしまったら。無防備なその頭を、明確な理由もなく落とすには、相当な決意が必要となる。
 どうか。
 大きな目を見開き、しかとミオウを見据える主君の姿に、改めて祈る。
 この主君の、一か八かの賭けが、どうか――。
「ほう」
 ミオウが静かに言う。
「息子より国を取られたか。そのご覚悟、流石であられる。ならば、私もそれに応じましょうぞ。その者の首一つと引き換えに、一切を不問と致しまする」
 ミオウの瞳の底が、ぎらりとした光を湛える。
「ウル国王ユズムラ・ガシノム殿が、そうお望みであらせられるのなら」
 ……イゴラ・ナル。
 ミクの耳が、音を感じた。巧みな言い様で、これから起こるギノウ王子の死の責は己ではなく、彼の父ウル国王に重きを置くものだと、ミオウが告げたまさにその時、声を捉えた。
 ギノウの背から視線を外す。外しながら、認識の間違いを訂正する。囁くようなその声は、聞こえてきたものではない。胸の内に直接ぽつりと降り落ちた音だ。でなければ、これほどまでにはっきりと、人を特定できない。ただ一度、数メートルも離れた場所で、漏れ聞いただけの男の声を識別できるはずがない。
 あの男だ。山で出会った、右の眉尻に大きな黒子のある男。
 確信を持つミクの心に、さらに声が響く。
 ココダル・ミ・リャンノ――
 でも、どこに?
 イーショワ・トナ――
 どこにいる?
 ヤイトオス。

 
 
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