蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十四章 不実なる真実(4)  
       
 
 

 鋭く辺りを見渡したミクの目が、正面を向く。冴えたグリーンの瞳が、シャン国王の左後ろに座す一人の男に据えられる。 
 頭部を白い布で覆っていないところから、シャン国の人間だと分かる。三十、四十、年を絞り込むのは難しい。顔も特徴が少ない。丸くもなく、尖っているわけでもなく、目も鼻も口も、極めて標準的な大きさで、配置も特記すべき部分がない。何より、山で見かけた男と違い、彼には黒子がない。試しに脳内で大きな黒子をその右眉に飾ってみたが、それだけでは、確かに彼が山に居た男だと言い切ることができなかった。
 だが。
 ミクの視線が、シャン国王に移る。「お待ち下さい」と、澄んだ声を放つ。ゆっくりとミオウの目が自分に向けられるのを待って、言葉を続ける。
「計画を企てし者が、皆亡くなってしまったのであれば致し方ありませんが。事の経緯を知る者が残っている以上、しっかりと吟味をするべきでは?」
 ミオウの眉が軽く寄り、疑問と不快を表現する。ミクがすかさず言う。
「私どもが山で見かけた男。その者にまず、詳細を尋ねるべきではないかと」
「山で見かけた男?」
「そこに」
 射るようなミクの視線が、ミオウの斜め後ろを指す。
「直ぐそこに、いらっしゃる方です。私がギノウ王子と共に山で目撃したのは」
 皆の目が、いかにも凡庸な風体の男に据えられる。ミオウだけが、視線の方向を崩さず声を重ねる。
「確か、ギノウ殿のお話では、顔に黒子のある男が命を下していたとか。はて、この者に、そのような特徴はないようだが」
「そうですね。今にして思えば、それは変装であったのかもしれません。ですが幸いなことに、その者には黒子の他にも、特徴的な部分がございましたゆえ」
「ほう」
 ミオウの瞳が不敵に笑う。
「ハスホウ、つまり我が国において、国妃の身の回りの一切を仕切る立場であることを示す、襟元が深い緑に色付けされたこの衣を脱げば。私ですら直ぐにその名が浮かばぬ者の顔を、特徴ありと申されるか」
「確かにお顔は」
 平然とミクが言う。
「取り立てて申し上げるべき点は、お見受けできませんが。そのお声は、実に特徴的で」
「声?」
「と申しますか、言葉の言い様」
「からかっておられるのか?」
 ミオウの目から笑みが消える。
「この者は先ほどから、一言も――」
「イゴラ・ナル……とは、どのような意味で?」
 ミクはその言葉をミオウではなく、山で出会った男に向けて言い放った。男の顔に微かな動きが生じる。重ねて、追い討ちをかける。
「ココダル・ミ・リャンノ・イーショワ・トナ・ヤイトオス――とは?」
 男の表情が、明らかに変わる。それ以上に、周囲の空気が一変する。
 胸に聞こえてきた声がシャン国の言葉であることを、ミクは直感的に分かっていた。だが悲しいかな、意味は理解できない。その独り言が、果たして今回の件に深く関わりを示すものであるのかどうか、確証のないまま行動に踏み切る。切羽詰った末の決断。それが、予想以上の効果を示す。
 ざわめきが収まらない。シャン国の言語は、その国の者のみならず、ウル国高官のほとんどが精通している。意味が理解できないのはミク、ユーリ、ティトの他、後は庭にたむろする下級の兵士ぐらいであろう。ただし、彼らの中にも語学に長けた者がいたようで、その仲間の耳打ちの助けを受け、あっという間に動揺が兵士達を包んだ。
 この言葉のどこに、これほどの現象を引き起こすものが隠れているのか。そろそろ誰か説明を、とミクが焦れてきたところで目の前のギノウが振り向く。
「イゴラ・ナルとは、シャン国の言葉で『決まりだな』という意味です」
 囁くようなギノウの声に、皆が静まる。己の認識を、今一度確かめるかのごとく、息を殺して聞き入る。
「残る言葉の意味は、『全ては我が主の思惑通り』」
「我が……主?」
 主、とは誰のことか? あの凡庸な男の直属の上官という意味なのか? 果たしてその言葉は、首謀者を特定するに至ったのか?
 渦巻く疑問を強い視線に変えたミクに、ギノウが言葉を返す。
「我が主、我が主君。通常ウル国ではそう言葉を置き換えますが、厳密には我が君、いえ、我が王と訳した方が正確でしょう。シャン国においてミ・リャンノとは、現国王ただ一人を指します。すなわち、ミオウ・カザノサ殿を」
「ミオウ……カザノサ王……?」
 驚きに、ミクが言葉を失う。反対に、ようやく一時的な衝撃から解放されたウル国王が、口を開く。
「……ミオウ……殿」
 極限までに感情を押し潰したような声が、低く続く。
「ご説明、願いたい」
「説明?」
 軽く言葉に空気を含ませ、ミオウが言う。
「説明を求める相手を、お間違いではありますまいか。一体いつ、どこで、我が家臣がそのような言葉を吐いたのか、まずはキーナスの……」
 唐突に、ミオウが言葉を止める。その間、ミクは凄まじい勢いで思考していた。真実を、正しく真実として受け入れられるために、どう脚色すれば良いかを考える。
 突然心に響いてきた、では、説得できない。山で聞いた、では、なぜ最初にそれを言わなかったのかと疑われるだろう。いずれにせよ、言った、言わないの論争となれば意味を為さない。いや、その論争すら叶わない。真実はもう、それぞれの胸の内で確定して――。
 その通り。
 え?
 ミクの瞳が真っ直ぐにミオウを捉える。超然とした微笑をそこに見出す。

 
 
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  第十四章(4)・3