蒼き騎士の伝説 第五巻                  
 
  第十四章 不実なる真実(4)  
       
 
 

 闇の中で、影が動いた。その影が囁く。
「さあ、参るぞ」
 意識の壁の濃度が増し、国妃の心を完全に隠す。
 ユーリは、ミオウを見た。鉄壁と喩えるべき意識の牢を、優しげな声と共に国妃に施した人物と目を合わせる。黒い瞳の奥に隠された、見えない底に向かって問いかける。
 彼女は? あの少女は?
 ミオウの目が伏せられる。拒絶を示す意識の向こうで微かな声が漏れ聞こえる。
『誰か、わたしを』
 国妃はまだ叫んでいた。夫に付き添われ、そっと肩を抱かれ、静々とこの場を立ち去る姿の奥で、必死にもがいていた。
『わたしを……』
 悲痛な叫びが、鉄の牢を叩く。撥ね返され、渦を巻き、また外を目指す。助けを求める。
『誰か、誰か』
 ここに――いる!
 思わずユーリはそう答えた。声ではなく、心の叫び。その波動が、鉄の牢を介して妃の意識と合わさる。交わり、はっきりと互いを認め合う。
 声に輪郭が生まれる。影が姿に変わる。初めて会ったその時と、同じ形で見詰め合う。
 そこに、雪の庭はなかった。辺り一面、煌く光はもっと硬質なものだ。蒼く輝くリル鉱石の洞窟。吹雪で荒れ狂う山の、地中深くに聳え立つ光の柱。眠る、一人の少女。
 白い衣に包まれた、黒に近い褐色の肌。赤葡萄色の瞳。長い銀糸の髪がふわりと流れ、先の尖った小さな耳が覗く。
 ……エルフィン。
 ユーリの呼びかけに、少女の瞳が艶を増す。
 君はあの時の、セルトーバ山の――、
「ユーリ!」
 一瞬の出来事だった。大声をあげたミクも、居並ぶ者達も、皆、そう思った。
 ずっと沈黙していたキーナスの騎士が、いきなり立ち上がる。風のごとくミオウの下に駆け寄り、その姿が王の流れる髪に隠れる。鈍い金属音が一つ。刃を交えていると気付いたのは、王の黒髪のうねりが収まってからだ。一度離れ、もう一度交わり、ぎりっと嫌な音を立てた瞬間、剣先が煌いた。
 互いに相手の武器を絡め取らんと、剣が大きく翻る。拮抗した力がぶつかり、同じ結果を両者にもたらす。騎士の剣は広間の壁に、ミオウの剣は天井に。共に主の手を離れ、突き刺さる。
「お気が狂れられたか、キーナスの騎士殿は」
 一つ息をつきながら、ミオウが家臣から新たな剣を受け取る。黒ずくめの、顔までをも黒い布で覆った異様な姿。あんな家臣が、最初から宴の席にいただろうかと訝る一同の耳に、鋭い音が響く。
「走れ!」
 キーナスの騎士はそう叫んでいた。向けられた声の先で、何かが転がる。転がりながら走る。広間の隅まで駆け、倒れる。
 ミオウが長剣を受け取ろうと、わずかに体を後ろに開いた隙を逃さず、騎士が体当たりをして奪い取った女性。そのまま突き飛ばされ、自らも何かから逃れるように走り、倒れ込んだか弱き少女。いつもその顔を隠す頭巾がずれ落ち、長い銀白色の髪が床に月を描いているシャン国の王妃。その髪の合間から、確かに覗く尖った耳。
「……エルフィン?」
 そう、ミクが小さく息を漏らすと同時に、空気が荒立つ。ミオウの剣を一つ、二つとかわし、ティトを抱えたサナを庇いながら後ずさるユーリに、鋭く三太刀目が迫る。一気に首を払わんとする寸前、その白刃が止まる。鞘に収まったままの剣に遮られ、刃が歯軋りするような音を立てる。
「どういうおつもりか」
 凍えるミオウの目が、新たな敵を見下ろした。
「これがギノウ殿の、ひいてはウル国の答えか。武人の誇りを忘れ、闇討ちするかのごとく、今ここで我を葬らんとなされるのか」
「それは……」
 鞘をつかむ両の手に力を込めつつ、ギノウが答える。
「ミオウ殿の返答次第。彼女は……彼女は、何者です?」
 刃が、またぎりぎりと音を出す。ギノウの声が、一段低くなる。
「イフーラ国の姫君、ではありませんね。かの国の民は肌の色こそ違うものの、瞳と髪は我が国の者と同じ。無論、生まれながらに異なる色を持つ者も、稀にあるでしょうが。だとしてもあの耳は、あの形は……。古く、遠く語り継がれる伝説の民、エルフィンを示すものなのでは?」
「だとしたら」
 ミオウがそこで剣を引く。肩に荷を担ぐかのように構え、笑う。
「伝説の種族の、人の及ばぬ恐るべき力を手に入れたいとお思いか。それともそこにおわす騎士どのの国、キーナスに眠るといわれる怪物を目覚めさせんとお望みか。そうそう、他にもこのような伝説があったな。確かエルフィンの肉を食らわば、不老不死になるのだという」
「私が問いたいのは」
 挑発に乗ることなく、静かにギノウが声を放つ。
「あなたが彼女をどうしようとお考えなのかです。妻でないことは、もはや明らか。もちろん縁者でも友でもないでしょう。キーナスの騎士殿がきっかけとなったのは確かですが、あの瞬間、彼女はあなたから逃げようとした。牢に閉じ込められた囚人のように。横暴な主に従う奴隷のように。あなたは、彼女を――」
「彼女は、私のものだ」
 顔から笑みを消し、ミオウが言う。
「お前達では扱えぬ」
「扱えぬ、とは?」
「ゆえに」
 ギノウの問いを、ミオウが無視する。
「返してもらうぞ」

 
 
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