蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第十八章 水の民(2)  
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「奴らが来た」
「奴ら――とは、キュルスプルフ島の?」
「早く逃げなければ、道を塞がれてしまう」
「道?」
「油を撒くんだ」
 怒りからか、あるいは恐怖からか。ぶるっと身を震わせヌンタルが呟く。
「油を撒いて、火を放つんだ。俺達がいつも使っている道に。ここと同じ、洞窟内の水に。俺達がそこに上ってこれないように、息を継ぐことが出来ないように。そうして、あらかじめ罠をしかけた水辺に俺達を追い込むんだ。もう、ウァクッパとトゥクフトゥの道が塞がれた。もし次にルカックァが塞がれたら、ホランバケ島まで逃げることができない。ホランバケ島まで行けば、そこから先は十以上の道がある。だから、俺達はもう行かねば」
「では、私も。私も連れて行って下さい」
 縋るようなミクの声に、コポコポと冷たい音が返される。
「お前は無理だ」
「どうして?」
「どうしてって」
 思わず詰め寄ったミクの勢いに押され、その場を離れたくても離れられないヌンタルが小さな声で言う。
「とてもじゃないが、人間では泳ぎきれない。息が続かない」
「あなたに手伝ってもらっても?」
「う……う〜ん」
「では、前にいたところ。そこに戻してもらうことは?」
「だめだ、だめだ。一度奴らが踏み入った場所は、だめだ」
 ヌンタルが、ぐるんと首を横に振る。大きな耳の下にたまっていた水が、飛沫となって散る。すでに彼の、恐らく彼女ではなく彼の周りには、二人しか残っていなかった。
「おい、フパックプフ。早くしろ」
「早く行こう」
 フパックプフと呼ばれたヌンタルが、急かす仲間を振り返る。そのまま水中に消えようとする後姿に、今一度ミクが懇願する。
「お願いです。このままここに置いていかれたら、私は」
「心配いらない」
 半分ほど沈めた顔をわざわざ戻し、フパックプフが大きな目をミクに向ける。
「ここは行き止まりだが、お陰でたくさん魚が集まってくる。子供でも捕まえられるアゥドァウやグーパゥフがたくさんいる。食うに困ることはない」
 いや、そういうことではなくて。
 火も刃物もない状態で、生魚を食べろというのか。そもそもヌンタルの子供が出来るからといって、水かき一つない人間が素手で捕まえられるのか、等等。問い詰めたい思いを殺し、要点を戻す。
「でも、彼らがここに来たら。あなた達のいう、キュルスプルフ島の人々が」
「それならなおさら心配ない。お前は俺達とは違って、背びれがない。皮を剥がされることはない。傷つけられることはない――」
「それは違うぞ。奴らは仲間でも平気で痛めつける」
 ただじっと待っていることに苛立ち、平べったい口の上半分を水上に浮かべる形で辺りを泳ぎ回っていた仲間が、コポコポと音を発する。
「殴ったり、蹴ったり。ぐるぐる紐で縛ったり。ついさっきも、この女がいた洞窟の入り口で、奴らが誰かをそうしてた。同じ人間同士なのに、仲間なのに。ああ、でも、見た目はちょっと変わっていたな。髪の色は黒くなく茶色だったし。長いのは同じだけど、後ろで束ねていたし。目の色も薄茶色で、背も少し高くて。何より肌の色が、この女みたいに白くて――」
「テッド!」
 ミクの声が、大きく上ずる。
「それはテッドです。私の仲間」
「お前の仲間? でも、オアバーダの人間には見えなかった。髪は赤くなかった」
「確かに、彼は」
 ヌンタル達の表情が訝しげに歪むのを見取り、ミクが急いで言葉を繋ぐ。
「オアバーダの人間ではありません。でも、キュルスプルフ島の人間でもない。あなた達に決して危害を加えたりしません。私と同じく」
「う〜ん……」
「お願いです。どうか私を彼のところまで連れて行って下さい。彼は『奴ら』に捕まっているのでしょう? 助けなければ」
「う〜ん……」
「近くまで、でいいのです。『奴ら』にあなた達が見つからないように。あなた達まで巻き込むつもりはありません。『奴ら』には、私一人で対しますから」
「お前……一人で?」
「無理だろ」
「無理だよな」
「どうする?」
「どうするって、どうする?」
 ミクは勝利を確信した。ことさら『奴ら』を強調することで、自分達は彼らの側にあると意識させることができた。後は、迷いの中にある彼らが、何らかの結論を出す前に行動する。答えを、強引に自分の方に持っていくだけだ。
 ミクが、ヌンタルの下に駆け寄る。驚いて見上げてる三つの鱗頭に微笑みかけながら、水溜り中に飛び込む。一度顔を水中に浸し、その後大きく息を吸い込む。
 言葉は、用いなかった。小さく頷く動作と、きっと見開いた目で強く決意を示す。そんなミクに、逆らえるヌンタルはいなかった。
 予想より温かいヌンタルの手が、ミクの体に触れる。右に一人、左に一人、腕を抱え込みながら寄り添う。
「行くぞ」
 コポリとした声と共に、最後の一人が力強くミクの背を押す。
 未だかつて経験したことのないスピードで、ミクの体は水の中を飛んだ。

 

 
 
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