「ぐふっ」
肺の中に残る最後の息が、水中に泡を作った。ただし、それを認識したのはテッド本人ではなく、別の人間だった。
不用意に開いたテッドの口が素早く塞がれる。しっとりと柔らかく包まれると同時に、肩を抱かれる。頬をくすぐるのは自分の髪か、それとも相手の髪か。そうぼんやり思った瞬間、鼻頭が締め付けられる。
うっ。
と呻いた声は、勢いよく進入してきた空気に押し戻された。強く鼻をつままれた状態で、口移しに酸素の補給を受ける。テッドの意識が少しだけ戻る。
ミク――。
目の前にいる人物の確認を済ませると、テッドはジェスチャーでレイナル・ガンを要求した。意識は、また薄れつつある。それは、最後の息を自分に送ったミクも同様だ。二人揃って死の淵に立つまでの残り時間は、わずか数秒。テッドは、散漫な動作で懐を探るミクの手を押しのけ、レイナル・ガンを奪い取った。
ぐったりと沈みかけるミクの体を左腕で抱く。右手に持った銃を天井に向ける。迷わず、撃つ。
衝撃が、大きく水中を揺らした。熱を帯びた流れが、渦を巻きながら辺りに広がる。砕けた無数もの岩盤が、雨となって降る。その中心を、テッドは懸命に上っていた。
左腕にはミクがいるため、片手だけでしか水を掻けない。必死で足を動かすが、次第に力が抜けていく。上っているのか、それとも沈んでいるのか。自分では分からなくなってきたところで、誰かに腰を抱えられる。凄まじい速さで、一気に天を目指す。
「ぐはっ」
「ごほっ、ごほっ」
激しく咳き込む音が、岩肌に当たった。それが大きく反響する中、這いあがる。吹き上げる水飛沫に打たれながら、地に転がる。荒い息遣い。自分のものと、もう一人のもの。耳だけで、互いの無事を認めたところで、彼らはまた力を振り絞らなければならなかった。
水の勢いが止まらない。横穴には若干の傾斜があり、溢れた水は全て足先の向こうに流れているが、安心はできない。穴は狭く、天井も低く、もし、下流方向に十分な長さがなければ、また水に巻き込まれてしまう。
ふらつく足で立ち上がる。手を添えながら、坂を上る。背後に聞こえる、低く獣が咆哮するかのような水の音に、追われながら歩く。その足元が、見る間に水の中に埋もれていく。
滑り、転び、後ろから襲い掛かる波に押され、硬い岩盤に三度、強く体を打ちつけたところで、テッドの腰がまた誰かに支えられた。溢れ出る水に上手く乗りながら、上流に向かって進む。まだ水に侵されていない、陸を目指す。
「……どう……やら」
ようやく勢いの収まった水に足先だけを浸し、うつぶせのままテッドが呟いた。
「助かった……みたいだな。お前さんは、大丈夫か」
声をかけると同時に、体を返す、仰向けになる途中で、半身を起こしたミクの姿を確認する。
「私は無事です。彼らの――」
まだ整わない息を大きく継ぎながら、ミクは水辺を見やった。心配そうに、ただし若干の警戒心を持ちながら、頭半分だけを水上に出す三人のヌンタルに声をかける。
「今あるのは、彼らのお陰です。ありがとう、助けてくれて。もう、私達のことは心配いりません。だから、早くあなたは仲間を助けに――」
「おい、待て。こいつら言葉が分かるのか? だったら」
粗雑な物言いをたしなめようとしたミクより早く、飛び起きたテッドが捲くし立てる。
「さっきの場所、ここから北東。ああ、つまり」
声に身振り手振りが加わる。
「こっちの方向。罠が仕掛けてあるのは、あそこだけじゃない。ここと、加えてもう一つ、ここ。この三箇所全ての水溜りに、同様の罠が仕掛けてある。だから、お前達はいったん、元いた場所に戻れ。罠に掛かっちまった連中を助けるのは難しいかもしれんが。せめて闇雲に逃げ回っている仲間だけでも、上手く誘導して――って、おい、俺の言ってること、分かって――」
返事の代わりに水音が響く。ヌンタルの姿が消え、波紋だけが水面に残る。テッドの口から、苦々しい息が漏れる。