「あいつら、ちゃんと分かったのか?」
「多分、大丈夫でしょう」
ようやく平常に戻った息遣いで、ミクが答える。
「彼らのことは、彼らに任せておきましょう。というより、水の中では何の役にも立ちませんからね、私達は。それより」
立ち上がり、軽く伸びをするようにミクは上に向かって手を伸ばした。低い横穴の天井に触れる。冷やりとした湿り気が、指を濡らす。
「この穴の、続く先は?」
「一応、外には繋がっている」
岩盤の上にどかりと腰を下ろしながら、テッドが言う。
「ただし、少し行くと傾斜はもっときつくなるから、よじ登るようにして進まなきゃならない。直線距離なら出口まで二キロ弱だが、地図によると、えらく細かく蛇行していたからな。太陽の光を拝めるまで、ざっと四キロってところか。ちなみに、めでたく穴から出た先は、島の南面、高さ五十メートルに及ぶ断崖絶壁のど真ん中ってことになるが」
「その高さであれば、ワイヤーロープを使って崖を降りることが可能ですね。もっとも降りたところで、そこから先の道がありませんが」
「要するに、アリエスにはそこで待っていてもらわなくちゃならんってことだ。もしくは、ちょうど出口の辺りで待ちかまえてもらうか。とにかく、早くユーリに連絡を取ろうぜ。おい、パルコム」
テッドがミクに向かって手を伸ばす。しかし、返ってきたアクションは彼の予想とは違っていた。片眉を少し引き上げ、ミクが首を傾げる。同時に肩をもすくめる。
「まさか、お前さん――」
テッドの表情がみるみる曇る。
「パルコムを――」
「あなたと同様、持ち合わせていません」
「って、どうするんだよ」
「ですから、それを今から考えるのです」
自分の不所持は棚に上げ、声を荒げたテッドにミクは冷たく言い放った。
両者、思考の時間に入る。しかし直ぐに、行き詰る。難題を前にして、端から投げ出したり諦めたりという性質は、二人とも持ち合わせていない。だが今回ばかりは、知恵の絞りようが無いというのが、早々に出した結論であった。
二人で出来ることは、限られている。出口まで向かい、そこで島に戻ってきたユーリに見つけてもらうしか手はない。そろそろ日が落ちる頃なので、今日中の合流は難しいかもしれないが、明日の朝、遅くとも午前中には再びアリエスに乗り込むことが可能だろう。ただしこれは、ユーリの側に何もないことが条件となる。
「おい、それどういう意味だ?」
ミクの呈した条件に、テッドが怪訝な顔を向ける。
「ユーリに、何が?」
「ヌンタルに敵と見なされ襲われる寸前、結局は彼らの勘違いだったわけですが。その直前、サナから連絡があったのです。ひどく慌てた様子で、ユーリが――と言ったところで会話は途切れた」
「あいつの方でも、何かあったってか」
「絶対ではありませんが、その可能性は大きいでしょう。正直、待っているだけで解決するとは思えませんね。とはいえ、今の私達にはそれしかできない」
二人して、また黙り込む。
今ある全ての力が二人だけの場合、もはや手はない。そう、二人だけであるとした場合――。
もし、彼らに。
もし、あいつらに。
ミクとテッドの唇が、同時に動く。
「でも、彼らはもう」
「でも、あいつらはもう」
仲間のところに、行ってしまった――。
同じ意を持つ溜息が、両者の口から漏れる。諦めの混じった自嘲とも取れる笑みを、共に浮かべる。と、その表情が瞬時に変わる。
「ん?」
「あっ」
テッドとミクは互いに顔を見合わせた。耳で捉えたかすかな音、それを証明する水の波紋。きりっとした視線を送るミクに、頷くテッド。万に一つと思われる幸運を、チャンスを。ミクの交渉術に任せる。
「フパックプフ、あなたでしたか」
垂れた右耳の端に、小さな欠損を見つけミクが声を出す。まだ、顔かたちだけで彼らを個別化することは難しかった。名を呼ばれ、明らかに表情を緩めたヌンタルを見つめながら、彼にそういう特徴があったことに感謝する。自分達の運は、まだ尽きていないことを確信する。
「仲間のみなさんは?」
意識的に落ち着きを持たせたミクの声に、フパックプフがすっと近付く。頭だけではなく肩の辺りまで水から出し、例のコポコポとした音を発する。
「網にかっかった者は助けられなかった。でもその他は、みんな逃げた」
「逃げた、ということは、無事だった者はみなあの洞窟に?」
「いや」
盛大に水飛沫を散らしながら、ヌンタルが首を横に振る。
「別の場所だ。奴らがまだ知らない道が、一つだけ残っていた。だからみんなそこから逃げた」
「そうでしたか」
ミクの目と口元の筋肉が、自然と優しい動きを施す。自分達に手を貸してくれるよう、交渉しなければならない事を一時忘れる。彼の仲間が全滅を免れたことを、心から喜ぶ。
「良かった……」
気持ちが、呟きとなってミクの口から漏れ出た。ようやく、余韻から解放される。新たに得た情報に気が向く。
奴らがまだ知らない道――ひょっとしたら、彼らだけではなく、私達にとっても希望となるのでは。