淡く期待を抱きながら、ミクが尋ねる。
「教えて頂きたいのですが、あなた達が無事に逃げることが出来た道を、人が通ることは?」
「無理だ」
間髪入れずの否定に怯むことなく、ミクがさらに問い返す。
「あなた達の助力があっても?」
「無理だ」
きっぱりとフパックプフが答える。
「あの罠が仕掛けてあったところから、さっきの洞窟まで。あれよりも、その道は長い。あの道の、三つ分はある」
「それでは」
ミクの声に失意の息が乗る。
「とても無理ですね。では」
素早く気持ちを切り替える。今直ぐにでも仲間のところに戻りたいであろうフパックプフを、矢継ぎ早の質問で制す。
「その道の先は、一体どこに続いているのですか?」
「カンタッフ島だ」
「そこから先は?」
「先とは?」
「また別の道が、いろいろな方向に向かってあるのでしょう?」
「もちろん、ある」
大きな目をごろんと動かし、ヌンタルがやや自慢気に話す。
「カンタッフの島には、たくさんの道がある。しかも、全部人では通れない長い道ばかりだ。出入り口も、岩の中にあるものがほとんどで、人は入って来れない。そこから、モラント島へ向かえば、遠くオルオロッパの島まで行くことが出来る。クーツゥフ島を越えて、アルオドマ島へ行くことだって出来る」
「クーツゥフ島に、アルオドマ島」
頭の中の地図をなぞりながら、ミクが頷く。思った以上に、彼らの行動範囲は広い。これなら目的とする場所は、彼らのテリトリー内だ。
ミクは、核心部分に入ることにした。
「では、そこからウクット島へは?」
「ウクット!」
驚きで丸くなったフパックプフの目が、そのまま勢い良く水の中に沈んだ。波紋が広がる水面に、冷静さを欠く声がかけられる。
「ま、待って下さい」
「おい、待て!」
ずっと沈黙を守っていたテッドも、思わず大声を出す。
二人して、息を殺す。もう奇跡は望めないだろうと、思いつつも待つ。フパックプフの律儀さと優しさを、信じる。
仲間と共にさっさと逃げればいいものを、彼はわざわざここまで戻って結果を知らせてくれた。恐らくは、罠が仕掛けてある場所を教えたことに対しての、礼の気持ちがあったのだろう。あるいはもっと単純に、自分達のことを心配したのかもしれない。人、であるにも関わらず、彼と彼の仲間は自分達を助けた。その心ほど、純粋なものはない。疑う余地のない、強固なものはない。
奇跡が、三度繰り返される。心持ち遠くに、波紋が起きる。そこから半分ほど浮かび上がったフパックプフの姿に、安堵と感謝の長い息が零される。
「一つ、頼まれて欲しいことがあるのです」
慎重に、ミクが声を放つ。
「ウクット島にいる私達の仲間に、この場所のことを伝えてもらえないでしょうか。場所さえ分かれば、後は仲間が何とかします。私達がここから逃れる手段は、それしかないのです。もちろん、仲間は私達と同様、あなたに危害を与えることはありません。ですから」
「お前が、奴らと違うことはもう分かっている。だからお前を助けた。だからお前の仲間、その男も助けた」
「そういや、まだ礼を言ってなかったな」
フパックプフの視線が自分に向いたの受け、テッドが言う。
「ありがとうよ、助かったぜ」
「やっぱり、奴らの仲間じゃないな。言葉が下手だ」
コポコポと聞き取りにくい声で、フパックプフが切り返す。お前に言われたかない、と反論したい気持ちを押さえ、テッドは再び会話をミクに譲った。
軽く微笑を含んだミクの口元が、静かに動く。
「島にいる仲間も、この彼と同じです。なのでどうか」
「だからそれはもう、分かったと言ったろう。お前もその男も、ウクット島にいるという仲間も、俺達を襲ったりはしない。俺を捕まえたりはしない。問題は、そこじゃない」
「つまり、人ではなく場所に問題があると?」
厄介なことになったと内心で舌打ちながら、ミクが続ける。
「ウクット島に、一体何が?」
「ある。いろいろある」
そう答えながら顔を半分沈めたせいで、声に水音が混じる。言葉に混じる雑音が、さらに大きくなる。
「まず、アソコの出口はイシの中にない。夜ならトモカク、青いソラが天井を覆うヒルマは、オレタチの姿が丸見えとなる。大きさもフツウの二十個分くらいはアルから、陸までキョリがある。木のシゲミに隠れようにも、ジカンがかかる。そのアイダに狙われたら、ヒトタマリモない」
「ですが」
一語一句を逃さぬよう注意を払って聞いていたミクが、疑問を口にする。
「仮に待ち伏せされたとしても、深さは? 深さがあれば一度浮上し、素早く息を継いだあと、水底を伝いながら陸を目指すことができるのでは? それだけ大きな出口となれば、網で全てを覆うことも出来ないでしょうし、周囲を隙間なく固めることも難しいでしょう。陸から銛を投げても届かないし、むしろ洞窟内の水辺よりも、有利な条件と言えるのでは? こことは違う明るい日差しも、かえって好都合。自分達だけではなく、等しく相手も照らしてくれますからね。落ち着いて、人がどこにいるかを見定めた上で、安全に陸を目指せば」
「ヒトが相手なら、それでいいが。ウクット島のテキは、コークゥラッフェタだからな」
「コークル……フェタ?」
「コークルフェタじゃない、コークゥラッフェタだ」
恐怖のためか、フパックプフの顔が一度完全に沈む。そのまますすっと、ミク達の方に近寄る。辺りを伺いながら、またあの大きな目が水上に覗く。