蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第二十章 示される心(2)  
            第二十章・1へ
 
 
 

 

      二  

 人の持つ、時間の感覚ほどあてにならないものはない。特に、気持ちに大きく左右されている間は、その狂いが激しいことを、ユーリは実感していた。
 パルコムが示す、ミリ秒単位までの明確な数値の加算が、あまりにも緩やかなように感じる。そのうち、アリエスの航行速度、現在の高度を示す数値にまで不安を覚える。入り江から島の中心まで、時間にしてたったの八分。その八分を待ちきれずに、何度も上空を見上げる。木々に阻まれ見通すことの出来ない視界を、少しでも広く獲得するため湖の淵ぎりぎりに立つ。
 後、三分……か。
 青い空しか認めることが出来ず、ユーリは再びパルコムの画面に視線を落とした。緊張した表情のまま固まっているサナを横目に、いかにも退屈そうなティトの姿がユーリの心を和らげる。恐らく彼らも、このわずか八分の時間を、数十分もの長い時に感じているのだろう。ただ数字だけが動く世界の中から解放されることを、ひたすら願って――。
 ん?
 不意にパルコムの画面に影がさす。
 アリ――エス?
 示された数値から違うことは確かであったのに、一瞬そう思ってしまったことがユーリの行動を遅らせた。
 漫然と空を見上げたユーリの目に、大きな影が迫る。何がしかの行動を起こすことはおろか、相手が何者であるかを確認する余裕もなかった。煌く閃光が、湖を真っ二つに裂きながら放たれなければ、ユーリは自分が死んだことすら気付かず、影の下敷きとなっていたかもしれない。
「――レイナル・ガン?」
 熱を帯びた水飛沫が頬にかかるの受けて、我に返る。テッドか、ミクか。銃を撃った者の姿を確かめる前に、まず自分達の身の安全を確保する。レイナル・ガンの一撃に怯み、いったんは上空へ舞い戻った影の次の攻撃に備え、木立に逃げ込む。フェルーラを茂みに座らせ、上空を見据える。
 あれは……蛇?
 ユーリの瞳が、驚きで丸く膨らむ。
 どういう原理でそこにいるのか。空中で大蛇がとぐろを巻いていた。いや、蛇にしては顔が立体的だ。よく見れば、短い足もある。奇異な姿だが、未知なる印象はない。いつかどこかで見た形。そう、昔訪れたことがある東洋の寺の天井に、絵として描かれていた。大きな目をぎょろりと見開き、訪れた者を睨みつけていた龍。まさしくそれが、ここにいる。
 ユーリの目が、細められる。
 全身を覆う、銀白色の龍の鱗が、強く太陽の光を反射した。ぐるりと巻かれた体がしなやかに伸び、その動作と共に地に下る。雷のごとく、降り落ちる。
「うっ」
 風を切る音が、強くユーリの鼓膜を圧した。湖の中央目掛けて落ちて来た龍の体が、激しく水面を叩く。ワニを思わせる大きな口を開け、狙いをつけた何かを呑みこもうとする。
 レイナル・ガンの閃光が、狂ったように乱れ飛んだ。 だが、至近距離にも関わらずことごとく狙いは外れ、ただ一発のみが龍の体を掠めただけであった。
 あれはテッド――じゃない。ミクでもない。
 レイナル・ガンで受けた傷より、なお続けざまに放たれる光を嫌い、龍が再び湖から退く。ユーリ達が潜む木立の反対側に向かって、空を蛇行する。
 じゃあ、一体誰が?
 しかし、その疑問を解決するだけの時間を、ユーリは得ることが出来なかった。
 めりめりと軋むような音が響き渡る。対岸にある大木の根元に絡みついた龍が、枝をへし折りながら凄まじい勢いで登っていく。頂上に達するとそこでとぐろを巻き、水面を睨みつける。龍の止まる先端の幹が、重みで弾ける限界までたわむ。
 ぎゅんと空気がしなる音を出した。丸めた体を一気に伸ばし、龍が空を飛ぶ。左、後ろ、そして右。木々を伝いながら、ぐるりと湖の周りを巡る。飛ぶたびに徐々に高度を下げ、仕留め損ねた獲物に再び挑む。

 
 
  表紙に戻る         前へ 次へ  
  第二十章(2)・1