蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第二十章 示される心(2)  
               
 
 

 あれは――魚?
 湖に残る波紋の中央に、青緑色の鱗が浮かぶのを見て、ユーリは思った。次の瞬間、それが誤りであることに気付く。鱗に覆われたその生き物の伸ばした手の先から、見覚えのある閃光が放たれるのを見たからだ。
 衝撃が、森全体を震わせる。生き物の正体が何であるかは知らないが、自分の持ち物ではない銃を扱うことなど、無理であった。強烈な光と、運よく木立を貫いた音だけで、龍を一時的に回避できたが。諦めることを知らない龍は、また木から木へのジャンプを始めた。
 今度は逆に、少しずつ高度を上げる。スピードについていけず、青緑色の生き物が敵を見失う。銃を構えることもできず、湖の中心で固まる。その姿に、大きく影が被さる。
 龍は真上に飛んでいた。森よりも高く空に跳ね上がる。そのまま真っ逆様に落ち、今度こそ獲物を捕らえるかに思えた瞬間、ユーリは全身を強張らせた。見上げる視界の端に、もう一つの影が現れたことを受け、凍りつく。
 悠然と上空に現れたのは、アリエスであった。己の判断力の甘さをユーリが悔いるより早く、龍が新たな侵入者を認める。ひねるように身をよじり、そしてぐんとそれを伸ばす。何もない空中で一蹴りをし、アリエスに飛びつく。
 小さな悲鳴がパルコムから響いた。外の様子は見えないものの、相当な衝撃が船内にも伝わったはずだ。もし、ユーリがとっさにメインコンピューターの音声を切っていなければ、操縦室内はおそらくパニック状態に陥ったであろう。
 不安と恐怖より、一体何が起こっているのか、強く疑問を示す声でサナが問う。
「ユーリ、今、何かがつんと当たったような音がしたのだけど」
「――うん」
 一言しか返してこないユーリに、サナがまた尋ねる。
「微妙に揺れているの。低く、軋むような音もするし。そろそろ着くはずよね。そこからアリエスの姿、まだ見えない?」
「うん、いや」
 相反する答えが、ユーリの口から息となって零れる。そのどちらも、共に正しい解答だった。
 アリエスに跳びかかった龍は、そのまま銀色の機体に撒きついた。らせん状にするすると身を滑らせ、しっかりと張り付く。アリエスの姿が、龍の中に埋もれる。両者の動きがそこで止まる。
 ユーリの持つパルコムの画面が、赤く光った。アリエスの危機を伝える「EMERGENCY」の文字の横に、ずらりと並ぶ数字を、食い入るように見る。
 圧力、1200MPa(メガパスカル)?
 信じがたいその値に、ユーリは息を呑んだ。
 このような高い身体能力、特殊能力を持つ生物とは、すでに何度か対峙した。レイナル・ガンという武器があって初めて、どうにか退けることができた。だが、それらはいずれも生身の体をさらして戦った場合だ。人の身体的能力は、決して高くない。怪物の類が相手でなくとも、身一つでは容易に倒されてしまう。だが、今度の敵の対象はアリエスだ。150気圧にも耐えうる強度を誇る、チタン合金のボディを傷つけることなど。少なくとも一個の生命体に、出来ようはずがない。
 なのに。
<圧力、1300MPaまで上昇。限界点まで、残り十六分>
 締め付ける圧力の増す加速度と、アリエスの外壁強度を秤に掛け、コンピューターが自らの余命を告げる。もはやユーリに、事の意外を驚く暇は残されていなかった。
 スピードで降り切るか。
 エルカバット砲を使うか。
 選択肢は、限られていた。どちらを選ぶにせよ、船内のサナに操作を行ってもらう必要があった。必然的に、より複雑性の少ない前者に決定する。締め付ける力に対し、どの程度のスピードが必要かを、パルコムで計算する。
<ミッドデッキ、4−Cブロックの外壁圧、1350MPaに上昇>
 振り切れ――ない?
 絶望的な計算結果の横で、さらに文字が踊る。
<ロワーデッキ、3−Aブロックの外壁圧、1400MPaに上昇。限界点まで、残り七分>
 アリエスの寿命が、さらに短くなる。
 残る手段は――エルカバット砲だけ。
 奥歯を強く噛みながら、ユーリは懸命に思考を巡らせた。

 
 
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  第二十章(2)・2