蒼き騎士の伝説 第六巻                  
 
  第二十二章 命ある星の下で(1)  
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 フェルーラのことはテッドに任せておけばいい。そう分かっていながら、常に彼女のことが気になった。こうして作業に没頭している間も、ティトとミッドデッキを走り回る時も、まるで気を失うようにして眠りに入る瞬間も。意識の底には、常に彼女の姿があった。
「分かった」
 短く、ユーリが言う。
「ちょっと、休憩してくる」
「了解」
 画面を見据えたまま、ミクが言う。その姿に背を向けたところで、声がかかる。
「ユーリ」
「ん?」
 振り返ったユーリの瞳に、柔らかな微笑を湛えるミクが映る。
「ちょっとではなく――ゆっくり休んできて下さい」
「ありがとう。じゃあ、そうする」
 そのミクの気遣いのお陰で、ユーリは今、フェルーラの側にいる。特に何かをするわけでもなく、ただ眠る姿を眺めるだけであったが。離れている間に膨れ上がった不安を、少しでもほぐすことができる時間は貴重だった。
 フェルーラの、固く閉じた瞼に視線を落とす。テッドの尽力により、容態は安定していた。しかし、昨日になって主治医は、手術も視野に入れていることを示唆した。より詳細な検査を行い、その結果、地球人に対する時と同じように、自分の腕を振るうことができると判断したなら。薬の服用によって表面上は穏やかになったが、病状の良化には至っていない現況を打破するために行うことを、テッドは告げた。
 地球人と同じように……か。
 耳の形以外、何ら自分と変わりなく思えるフェルーラを、じっと見据える。どこか憂いを帯びた表情に、過去が蘇る。その身だけではなく、フェルーラの心をも縛った者の姿を思い出す。
 そろそろ、シャン国とウル国の軍隊がぶつかる頃だな。
 暗鬱とした吐息が、ユーリの唇から漏れる。
 アマシオノ城で繰り広げられたミオウによる茶番は、すでに計画の終盤であったと見なすのが妥当だ。周到にシャン国が戦争の用意をしていたことは、まず間違いない。ガーダと共に故国へ戻ったミオウは、即座に動いただろう。シャン国、ウル国の軍事力について、詳しい情報を持っているわけではないが。準備段階で、一歩も二歩もウル国側が出遅れているのは確かだ。
 それに。
 ユーリの瞳が、小さく揺らぐ。
 この戦争の背景は、単純ではない。土地や財産の奪い合い、宗教的、思想的な違いに基づく諍い。過去の歴史を遡っての恨みや復讐。これら全て、人の愚かさをただ証明するだけの、何の未来も生み出さぬ行為ではあるが。その目的が達せられた時、あるいは逆に、自分達の方が相手に呑まれる恐れが出てきた時点で、収拾に向かうのが救いだ。敵、味方とも大きな被害が出たとしても、必ず生き残る者が出る。場合によっては、どちらかが一方的に滅ぼされることもあるだろうが。全てが失われるようなことはない。
 そうやって、人は今まで生き延びてきた。地球においても、ここカルタスにおいても。人はこの現在に至るまで、歴史を築いてきた。
 だがもし、目的が純粋なる破壊であった場合、どうなるのか。巧みに裏で糸を引く者が、人の時代を終焉へと導こうとしているのだとしたら。
「……ガーダ」
 呻くように、ユーリが呟く。ぎしりと胸がしぼむ。耳の奥で何かが鳴る。森を超え、海を渡り、遥かユジュールの大陸から悲鳴が聞こえるかのように感じる。無数ともいえる断末魔に、全身が押し潰されるように思う。
「うっ」
 痛みに身もだえするような声が、ユーリの口から零れた。しかしそれは、彼だけのものではなかった。
「……フェルーラ?」
 目の前の少女の眉が、苦しげに寄る。深い皺が刻まれた額に、汗が玉となって浮かぶ。
 ユーリは素早く、中にいる者の状態を示すカプセルのパネルを見た。若干の脈拍、体温上昇はあるものの、他の異常は示されていない。だがユーリは、ここはテッドが判断を下すべきと考え、彼を呼びに行こうと立ち上がった。
「――あっ」
 タイミングを計ったかのように、隣室に続く扉が開く。そこから現れたテッドにユーリが言う。
「ちょうど良かった。彼女の様子が」
「ん?」
 小走りで、テッドが近付く。データを確かめ、カプセルを開け、直にフェルーラの腕を取ったところで、一言を漏らす。
「大丈夫だ。心配するレベルではない。それより」
 カプセルが閉じられる。
「ちょっとこっちに来てくれ。話がある」
「話?」
「彼女のこととか、他にもいろいろ。今、ミクも呼んだ」
「ひょっとして」
 苦痛の表情を残したままのフェルーラを見据え、ユーリが尋ねる。
「かなり悪い状態――という事?」
「悪いっつーか、何て言うか。一言で言うと、厄介かな。とにかく詳しい説明は向こうの部屋で」
「……うん」
 歯切れの悪い返事を、ユーリが返す。テッドが消えた扉から視線を外す。眠る少女をもう一度見つめ、音にならない声でその名を呟く。
 ――フェルーラ――。
 気持ちが、溢れる。
 もう、誤魔化すことはできない。もう、抑えることはできない。自分の中にある別の意識、彼女に対して強い思慕を持つその意識を呑み込み、さらには超える想いがはっきりと感じられる。そこに、しっかりと自身を認めることができる。紛れもなく、自分の想いだという確信が……。
 ユーリの右手がゆっくりと上がり、カプセル越しに、フェルーラの額に宛がわれた。両者の心が、共に相手を求めて溶け合う。その温かい流れの中に、ユーリが一つの言葉を落とす。
「……好きだ」
 想いが波紋となり、柔らかく広がる。全身を駆け巡り、隅々までをも満たす。ユーリの唇に、そしてフェルーラの唇に。ありのままの心を示す、微笑が浮かぶ。
 ユーリはそっと、カプセルから離れた。漆黒の瞳に強い光を宿しながら、テッドの待つ別室へと入って行った。

 

 
 
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