何でも屋キャンディのお仕事ファイル                  
 
  第四章 喪失の森  
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「なんつーか、いかにもって感じだよな」
 異様な沈黙を守る森を睨みながら、カイが呟いた。
 街道から遠く外れ、付近には町も村もない。多分に天候のせいではあるが、重く垂れこめた雲が森全体に圧し掛かり、本来生気に満ちた色に翳りを落としている。獣どころか、植物すらもその中で時を止めているのではないか。そう思わせるほど、森は暗く、沈んでいた。
「やっぱ、街道を進んだ方が良かったんじゃ」
「この期に及んで、うじうじ蒸し返すな。行くぞ」
 そうキャンディは一喝すると、先に立って進んだ。ルウとクロノスも、その後に続く。
「あ、あの……」
 蚊の鳴くような声が、傍らで響く。
「ごめんなさい」
 長い吐息が、カイの口から漏れる。その音に、ニコルの睫が震えた。カイの表情が、それで緩む。
「もう、いいよ。俺達も行くぞ」
 そう言ってカイは、ニコルの銀の髪をくしゅっと撫でた。
 エトール山があるという、ファンダリア領を目指す一行は、国を大きく縦に割る街道を、ひたすら北に進んでいた。ルドンア、ミャッタ、ウスクープなどなど。それらの小さな村や町を超えれば、王都シャノーマに辿りつく。その先をさらに北へ上ると、聖都ゾーマ。西に進めば、もうそこはファンダリア領である。
 ところが、王都を前にしたウスクープの町に入るなり、ニコルがシャノーマには行きたくないと言い出したのだ。理由を聞いても分からない。ニコル自身が、分かっていない。それでは、説得のしようもない。
 仕方なく、宥めたりすかしたりしてみるのだが、やはり嫌だの一点張りで、頑として動こうとしない。これがニコルでなければ、どやしつけるか、無視して引っ張って行くか、そのどちらかの反応が正解であろうが、一行はそうしなかった。
 分からないが、理由はある。
 誰もがそう思った。彼の失われた記憶の中に、王都シャノーマを避けなければいけない絶対的な事象が、きっとある。そう、全員が認めた。そして、別の道を行くことに決めた。しかし、それが難題だった。
 西から回り込むことは難しい。高く聳えるノーツァン山脈が、行く手を邪魔している。仮に山を越えたとしても、その先は海だ。近くに港はなく、漁村もないため、さらに進みたければ泳ぐしかない。どう考えても、不可能だ。
 さりとて、東から進むのも厄介だ。喪失の森と呼ばれる魔の森を抜け、さらにグランダ卿の領地内を行かねばならない。このグランダ卿というのがかなりの曲者で、数多くの悪行非道が、風の噂で流れてきている。万が一にも目をつけられると、それこそ命はない。
 どちらの道を取るか。可能性のある方などという、甘い選択ではなかった。ゼロか、あるいは、辛うじてゼロではないか。その両者を比べ、後者を選んだ。その結果の、喪失の森である。
 クレモンチスの森。
 かつては、可憐な薄紅色の花の名前で呼ばれていたこの森は、いつの頃からかその名を失った。代わりにつけられた『喪失』という言葉は、文字通りそのままの意味を持っていた。
 森の中に入った者が、それっきり行方不明となることは数知れず、奇跡的に戻っても、みなまともな状態ではなかった。自分が何者であるかも分からず、他者の一切を忘れ、正気を失った者ばかり。心を食う化け物がいるのだとか、妖しく美しい魔女が惑わすのだとか、噂が尾ひれを伴い飛び交ううちに、辺りはすっかり寂れてしまった。
 では、森に入る者がいなくなったのかと言うと、実はそうでもない。中には、妖しく美しい魔女という言葉に、ふらふら入り込む勘違い野郎もいたが、多くは別の目的のために、この魔の森へと踏み込んだ。この森にのみ咲くクレモンチスの花。それが、とてつもない金になったのだ。
 ごく稀に、森の外でも見つけることのできるクレモンチスの花は、その希少さゆえ、高い値がつけられた。花びらを煎じて呑むと若返るだの、葉を刻んで食せばどんな病もたちどころに治るだの、根を一口かじると精力絶倫になるなどという話が、さらにその値を吊り上げた。そして、多くの命が、たった一輪の花の値に劣ることを証明して消えた。
 もし、化け物がいるとしたら、その欲深い愚かな心ではないのか。
 陰鬱な色を見せる森を見上げて、キャンディはそう思った。
「カイ」
 後ろを振り返る。
「わたしが先頭を行く。お前はしんがりをつとめろ」
「ああ、いいぜ」
「ニコルはわたしのすぐ後ろに。クロノスはカイの前に。ルウは――」
「そんなら僕は、真ん中やな」
「うむ」
 キャンディが頷いた。
「できるだけ、密集して進む。必ず前に行く者と、接触しながら歩くように」
「その前に、軽く目印つけとこか」
「目印?」
「そや、互いに逸れんよう、逸れた時に、見間違えんよう」
 そう言うと、ルウは杖を左手で持ち上げた。その先が、淡く丸く光る。ルウの顔ぐらいまでに膨れると、ぽこんと杖から離れ、さらに五つの丸い光玉に変わった。
「で、これを」
 ルウは光玉の一つを、こつんと杖で叩いた。弾かれた玉が、ニコルの胸に当たって止まる。そして、ゆっくりとその中に埋まる。
 光玉がすっかり吸い込まれたのを見て、カイが声を出す。
「お、おい。今の変な玉。体の中に入っちまったぞ。大丈夫なのか?」
「心配いらへん。ただの目印やから」
「目印って言ったって。中に入っちまったら見えないだろうが。意味ねえぞ」
「それが、意味あるんや。まあ、見といてや」
 ルウは幼い顔に笑みを施すと、ニコルの方を向いた。そして呼びかける。
「ニコル」
「あっ、はい」
 と、返事をするより早く、ニコルの胸元がぼおっと白く輝いた。その光は、後ろに立っていたキャンディの顔をも、淡く照らした。体の中心で輝く玉が、その体を透かして、外に光を放っている。
「とゆーことで」
 こつんこつんと、残りの玉を軽快に弾きながら、ルウが言った。
「この光は物を通して輝くから、小さく見えても結構遠くまで届くんやで。五日は消えへんから、迷子になってしもうた時は、慌てず騒がず、仲間の名前を呼ぶことや。みんな、よう分かったな」
 年齢的には一番迷子になりそうな、能力的には一番可能性の低いルウが、にっこり笑う。
 そして……。

 

 
 
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  第四章・1