「まーったく、冗談じゃないわよ!」
激しい怒りの声と共に、アンソニー探偵事務所の資料室が、理不尽な方法で開けられた。つまりはこの怒り主、モイラという妙齢の美女によって、扉が蹴飛ばされたのである。
「女性を何だと思ってるのよ。あのチカン、今度あったらただじゃおかないんだから!」
「君にそれだけ魅力があるってことじゃないの?」
ロイ――この理不尽に開けられたドアの中で、すでに小一時間ほど雑務に明け暮れていた若者――は、そう言って人なつっこい笑顔を作った。しかし、彼のこの何気なしの言葉は、彼女の怒りの炎に油を注ぐ破目になっただけでなく、その怒りの矛先を自分に向けてしまうという墓穴を掘ったのであった。
「何よそれ! じゃあロイ、世の魅力ある女性はすべてチカンどもに奉仕しなければならないって言うの?」
「そういう意味で言ったんじゃないよ」 困惑気味にロイは答えた。
「チカンは悪いことだよ。立派な――というか、憎むべき犯罪行為さ。だけど君が、ほら……その派手な――じゃない、非常にセクシーな服装をしているから、男の本能を著しく刺激する場合があると」
「本能、ホンノウね」 モイラは黒い大きな瞳を輝かせて、にっこり笑った。
今日の彼女は赤だった。長い黒髪は三つのアンバランスな大きさの球形に丸められ、それぞれに赤く光るラメが振りかけられていた。今の時代にはあまり見かけない、ぴったりと体にフィットした服も無論真っ赤で、背中の辺りがひどく空いており、申し訳程度に細いひもが交差している。靴も、ルージュも、爪も。加えて、右の耳からぶらさがっている、DNAのお化けのようなイヤリングに至るまで、見事に赤だった。
これじゃ、牛じゃなくても突進したくなるな。
ロイは一人で納得した。
「その本能について前々から考えていたんだけど」 モイラの顔からすでに笑みは消えていた。
「人間が人間たる証は、本能を抑制する理性を持っていることにあるわけじゃない? その能力が至らないとなると、他の動物と同じ――ちょっと待って。この種の本能に限って言えば、発情期という一定の期間のみに限定される動物達の方が、上ということになるかしら。時も所もかまわない、人間の……」
そこでモイラはいったん言葉を切ると、右手の人差し指をまっすぐにロイに向けてから、ゆっくりと言った。
「オ・ト・コ・のみなさんよりね」
「君がチカンにあったからって、どうして僕がそこまで言われなきゃならないんだよ」 さすがにロイはむっとして言った。
「人をケダモノか何かみたいに」
「あら、わたしはそれ以下って言ったんだけど」
「あのね――」
しかしロイは、そこで次の言葉を飲み込んだ。彼の青いガラス玉のような瞳が、目の前の美しい女性の顔に、すでに勝ち誇ったような笑みが浮かんでいるのを捉えたからである。そしてそれは、過去、モイラに言葉で戦いを挑んだ者が、ことごとく打ち破れていった事実を彼に思い起こさせた。
彼女の鉄壁な理論。人によっては屁理屈と称するものの前に、空しい崩壊を余儀なくされた者達。だが、犠牲者も愚かではない。彼らは一様に決意する。
もう二度と彼女とは戦うまい。たとえ、いかなる挑発を受けようとも……。
「さあ、ロイ。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
「……ああ、モイラ? このへんで、その話は」
「このへんて、どのへんよ」
「いや、だからさ――仕事、仕事しよう!」
「するわよ。こっちが片付いたらね。いいことロイ、そもそも男が本能なんて口にする時は――」
「モイラ、ロイ、至急、応接室に来てくれ。依頼だ」
突然、壁に埋め込まれたスピーカーがしゃがれた声で叫んだ。
助かった――。
そう思ったのは、もちろんロイだ。
「依頼だってさ」
「どうせ浮気調査か、いなくなったペット探しよ」
不機嫌そうにモイラは言った。
「とにかく所長がお呼びだ」
そう言うや否や、ロイはその長身を軽やかに操り、すべるように部屋のドアをすり抜けた。