リリア(ロイ&モイラ・シリーズ1)                  
 
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「はあ……」
 この日、まだ午前中にもかかわらず、二十四回目の溜息をついたモイラは、デスクの上で頬杖をついた。
 ここ数日、彼女は事務所の資料室に泊まり込み、それまでの生涯で、最も困難と思われる仕事をこなし続けていた。モーガン氏の依頼の二つ目の方、リリアという少女を預かる仕事である。
 ただしこれは、子守りとしての資質が、モイラにないことを示すものではない。子供嫌いであるとか、人の世話をするのが苦手とか、彼女がそういうタイプの人間である――というわけではないのだ。類まれな美貌と、それを十分すぎるほど意識した上で飾り立てた外見。そこから、妖しく危険な悪女といった印象を人に与えてしまうのだが、彼女の本質はその逆だ。だから、このリリアに対しても、モイラは自分ができる精一杯のことをした。だが、それら全てが拒絶されたのである。
 では、リリアの方に問題が、例えば反抗的な性格であったのかというと、それも違う。むしろ、リリアはモイラの言うことを忠実に守った。完璧に従った。ただ両者の間に、精神的な関係が存在しなかったのである。
 モイラが何か言うと、スイッチが入れられたかのようにリリアは動き出す。性能の良い美少女ロボット。モイラは最初、リリアをそう感じた。しかしそれが繰り返されていくうちに、異様な感覚に襲われ始める。モイラの心はリリアには届かない。リリアの心がモイラに返ってくることはない。一方的な心の消耗。いつしか自分も心が枯れ、心が尽き、気がつけば、形だけがそこに残り、まるで……。
「はあ……」
 二十五回目の溜息をついたモイラは、視線をデスクの上に移した。古い資料の整理という極めて単調な仕事も、彼女の気をさらに滅入らせていた。
 モーガン夫人の捜索に関しては、すでにモイラの側では行き詰まっていた。ホテルや交通機関、考え得る限りの立ち寄りそうな所は全てチェックした。無論、これらの情報には通常プロテクトがかかっている。が、モイラにとってそれを外すのは、造作もないことだ。潜入し、突破し、目的の情報に辿りつく。しかし残念ながら、そこにアイラ・モーガンの名を見つけるには至らなかった。結局、打つべき手を全て打ち尽くしたモイラは、依頼と関係のない雑用におわれる破目となる。
「こんなことならロイと交代すれば良かったわ」
 モイラは思わず呟いた。
 ロイの方はというと、この数日間、ただひたすら駆け回っていた。モーガン夫人の相手、例のゆすりの手紙に連ねられた男達を、一人ずつ、しらみつぶしに当たっていたのだ。もっともこちらの方もあまり収穫はなかった。分かったのは、モーガン夫人が男を変える度に自分の名前も変えていたということ。そして彼女の好みが――好みがあるとすればだが、少なくともロイとモイラにとっては、理解し難いものであるということだけだった。
「ひょっとしたら夫人は自分の身を犠牲にして、『ろくでなし』というテーマの研究でもしようとしてたのかな」
 冗談とも本気ともとれる表情でそう呟くと、ロイは十四人目の男に会うため朝早くここを出た。
 ろくでもない男に会うなんて、ごめんだわ。でも――。
「はあ……」
 こうして二十六回目の溜息をついたモイラは、真剣に明日はロイと仕事を交代すべきか否か、検討を始めたのである。

 

 
 
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