短編集1                  
 
  選ばれし者  
                 
 
 

「実に単純明快だよ。今から僕は10数える。数え終われば僕は君を撃つ。君が助かりたければ、その前に僕を撃てばいい。わかったね。では──1」
「馬鹿な!」
 デューイは立ち上がって叫んだ。
「お前は自分の言ってることが分かっているのか。自分のやっていることが」
「2」  
「とにかく俺は、お前を殺すつもりも、お前に殺されるつもりもない」
 デューイは努めて混乱を押さえてそう言うと、テーブルに背を向け出口を目指した。
 なんでこんな馬鹿なことになったんだ。大体みんなはどこに行った? マスターですらいないじゃないか。それに、くそ! どうして出口が、こんなに遠い……。
「3!」 トマスの鋭い声がデューイの背中を突いた。
「悪いがね、さっきのルールに少し加えさせてもらうよ。戦場離脱は認めない。君がドアに手をかければ、その時点で僕は撃つ」
 デューイはゆっくりと振り返った。
「4」
 こいつは狂ってやがる──デューイは思った。
 だが……だが、本気だ!
「お前は、一体?」
「5」 トマスはその薄い唇だけに笑みを浮かべて言った。
「神だよ。デューイ」
「ああ……」
 デューイは乾いた呻き声を上げた。
 ああ、そうか。あのことなんだ! 必要とあらば、神のごとく人を審判できるか──あれだ!
「6」
 人間は平等だ。その価値は等しく、その命の重さもまた同じだ。しかし、果たして本当にそうだろうか? もし、この宇宙に原因不明の死病が蔓延し、それから逃れるワクチンがわずか100人分だけあるとしたら──。
「7」
 無作為に選ばれた人間がそれを得るのだろうか。いや、そうはならないだろう。種の保存を考えれば男性よりは女性が多く占めるだろうし、同じ理由で老人よりも若者が選ばれるだろう。犯罪を犯した者より善良な人間が、不健康な者よりも、たとえそれが本人の罪ではないとしても、障害のある遺伝子を持つ者より、障害のない遺伝子を持つ者が選ばれて──。
「そしてたぶん」 不意にトマスが言った。
「地位のない者より地位のある者が選ばれるだろう。その地位が、その人間の努力と才能だけによるものではないにも関わらずね」
 そこでトマスは目を伏せた。
「8」
 もっと単純な図式でいこうとトマスが言ったのだ。自分ともう一人の人間が、わずかな空気を有する密室の中で救助を待っている。どちらかの死がもう一方の生を約束する。もし相手が明らかに自分より価値ある人間だと思ったなら、トマスは自らの死を選ぶと言った。これでも良心はあるんだ。だけど、逆なら? その時、僕は神になれる。相手を抹殺することに、何の罪悪も迷いも感じない神になれる。君はどうする? デューイ、君は?
「9」
 俺は分からないと言った。その時になってみないと、何とも……。
 デューイはふらふらと、トマスのいるテーブルの方へ足を踏み出した。
 ただ、俺は神にはなれないだろうと言った。そして、俺だけではなく何人も、そうトマスも、神になることは無理だと言った。そう、主張した。
「…………」
 デューイはトマスの唇が今一度、静かに開かれようとするのを見て取った。
 ──俺か? トマスか?──
 トマスの唇がゆっくり開くのに合わせて、彼の右手の指先が微かに、しかし確実な動きを施した。
 ──俺か? トマスか?──
 トマスは顔に満面の笑みを湛えた。
 ──俺か? それとも──
「10!」
 その言葉が響きとなって空気を震わすのを待たず、空間を青白い光が引き裂き、そして、塵が舞った。

 

 惑星イオス探査船、アフロディーテに乗り込んだ瞬間、デューイは少なからずの興奮と緊張を覚えた。宇宙に出るのはもう十数回目だが、今度の航海は彼が全指揮権をとる。つまり、艦長としては初めての航海となるのだ。
「航路においても惑星イオスにおいても、さしあたって特筆すべき問題はないがね」
 塵になったはずの上官の言葉と笑顔を、デューイは回想した。
「それでも宇宙は地球より、危険を伴う場所なんだ」
「分かってるよ、トマス。 要するに、生き残ることが絶対だと言いたいんだろう? それが正義だと――」
 デューイはコックピットのシートに深く体を沈めた。
 正義かどうかは別にして、俺はたぶんトマスの期待を裏切らないだろう。あの悪夢のようなテストのことは、激しい嫌悪感と共に今でも俺を悩ませるが、この航海が始まれば、そんなことは微塵も想起しないだろう。それができるからこそ、俺は選ばれ、こうしてこの船の指揮権を与えられたのだから……。
「だから俺は、ここにいるじゃないか」
 操作卓の金属板に映る歪んだ自分の顔に向って、吐き捨てるようにデユーイは呟いた。
「だから俺はこうして、むざむざと生きているじゃないか……」

 

  終わり  
 
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