短編集1 | ||||||||||
三つの願い | ||||||||||
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「そや。バンクに生命を預けた者は、天使が三つの願いをかなえるんや。そしてそのかなえられた願いを楽しむ為に、後、三ヵ月のこの世での生命が保証される」
「三ヵ月ねえ――なんか、随分短いような気がするが……」
「物は考えようや。今この瞬間、正確にはちょい前に死んでいたところなんやど〜。それがまだ三ヵ月、しかも望み通りの世界が体験出来るんや。どえらいメリットやと思わへんか?」
「ふむ」
俺は考えた。どう考えても良い話だ。よし、乗った!
「いいだろう。バンクに預けよう」
「はいな」 天使は嬉しそうな声を出した。
「それでは今から三つの願いをゆ〜てんか〜。それから、願いがかなった後からは、いかなる変更も利かへんから、気〜つけてなあ」
「よし」
俺は腕組みをしながらそう言った。
さて、どんな願いにするか。まあ三つあるんだし、定番から行くか――。
「俺を世界一の金持ちにしてくれ」
天使は困ったような顔をした。
「あんなあ、世の中には身分相応というのがあってなあ。いきなり世界一というのは無理や」
「どういう意味だ? 願いをかなえるって言ったじゃないか」
「金持ちにはしたるで。でも、世界一というのが無理なんや。おまえを世界一にする為には、今の人間界のほとんどに変革を加えなならんのや。けど、わいら天使にそんだけの力はあらへん。だから、おまえという人間が得てもおかしくない最大級の金――たとえば、宝くじに当たったとか――その程度なら世の中全体を変えずにすむから、その辺で、どや?」
「宝くじか。一億使っても、まだ二億あるんだよな。まあ、所詮は三ヵ月の命なんだから、それで手を打つか」
「ほな、一つ決まりな」
天使はそう言うと、パンと両手を叩いた。
すると突然、目の前の空間に一枚の紙切れが現れ、ひらひらと舞いながら、吸いこまれるように俺の手元に落ちた。
それは小切手だった。額面は三億だった。その数字も、そして小切手自体も、今まで見たことがなかった俺は、なんだか不思議な気持ちだった。
「これ……が、三億。本当に……」
「なんや、おまえ、天使を疑うんかあ。正真正銘、ホンマもんやで。かなわんなあ。それより、早よ二つ目の願い、ゆ〜てんか〜」
天使の声に促されて俺は考えた。
これも迷うことはないな。今の時代、金とくれば、次はこれだろ――。
「俺を世界一の、いや、現代美容整形外科技術で可能な限りの男前にしてくれ」
「よっしゃ」
天使はまた両手を叩いた。
「はい、二丁上がり〜! なかなかの出来やで。鏡で自分の顔、見てみ〜」
俺は部屋にあった小さな鏡を覗きこんだ。そこには、某アイドルグループに属していても何の違和感も感じない、少し甘めの好い男の顔があった。
瞬間、美鈴の顔が過ぎる。
これなら美鈴、戻ってくるかもしれないな。あいつを捨てて――。
復讐という発想は俺の柄ではないが、やつらの仲を引き裂く計画を思い巡らすのは、悪くない感覚だった。
鏡の中の男が微笑んだ。邪気のあるはずの微笑みなのに、何故か優しげに見える。
やっぱり、二枚目というのは得だなあ――。
天使が言った。
「さあ、最後や。三つ目の願い、ゆ〜てんか〜」
さあて、ここからが問題だ――。
俺はすっかり考え込んでしまった。
そもそもかなう願いが三つというのが難題なのだ。人間、二つくらいまでならあっさり浮かぶが、三つ目となるとそうもいかない。これが最後の願いだと思うから、余計力が入ってしまい、自分の中にあるおびただしい数の煩悩が、それぞれ勝手な主張を掲げて喚き出す。
一番良いのは何だろう……。
考えがまとまらない。
一番良いのは……良いのは……。
「なあ、まだかあ?」
天使が催促した。
「わいも、いつまでも、おまえとばかり付き合ってる訳にはいかんのや。早よしてくれへんのやったら、三つ目は放棄と見なすで〜」
放棄――? ちょっと待てよ。放棄か……。
三つ目の願いで欲をかいた為に、全てがおじゃんになるってのはよくある話だ。下手の考え休むに似たり、どうせこの話は、棚から牡丹餅なんだ――よし、思いきって三つ目の願いは放棄しよう!
「決めたぞ。俺は三つ目の願いを放棄する!」
きっぱりと俺は言った。
「ほんまに、ええんか?」
「ああ」
「そ〜か。ほんなら、そうゆ〜ことで」
天使はあっさりとそう言った。
俺はこの結論にすっかり満足していた。俺はその辺のやつらとは違う。三つ目を放棄することで、一つ目と二つ目の願いは万全だ。
すっかり上機嫌になって、俺は天使に話しかけた。
「お陰で楽しい三ヵ月が送れそうだ。もっともこうなってくると、預けた命が惜しい気もするが」
「今更、命の払い戻しは出来へんで〜」
「解ってる、解ってる。長く惨めに生きるより、俺にはこっちの方がいいよ。ただ――」
俺は言葉を切った。
「ただ、なんや〜?」
天使が尋ねた。
「うん。何と言うか――預けてみると、俺の命も愛おしく思えてきて――まあ、大事に使ってくれよ」
「任しとき〜。今からすぐ割り当てに行ってくるねん」
「へえ、もう使うのか?」
「そや、結構需要者は多いんや」
「そうか……」
俺は感慨深げに返事した。
一体、どんな人間が俺の命を継いでいくのだろうか。まだ花咲く前の、薄幸の美少女か。それとも、志半ばで、やむなく病に倒れた青年か――。
「一体、どんな人間なんだろう――」
「知りたいんか?」 天使が言った。
「教えてやってもええで」
「本当に?」
「うん」 天使はにっこり笑った。
「あんな、おまえの命を引き継ぐのは、明日事故死するはずの若い男や。東京都在住の二十四才、名前は松島亮。ほいでもって、こいつは――まあ、でも、もう説明することは無いやろ。なんせこいつは、おまえのよう知ってる男、そう、おまえの彼女を奪った……。ほな、わいはもう行くで。まあ、後三ヶ月、元気でな。さいなら〜!」
天使はそう言うと、夢のように俺の目の前から消えた。
しかし、手に持った小切手と、鏡の中の良い男は、いつまでも、いつまでも、消えてはくれなかった。