短編集1                  
 
  天国と地獄  
               
 
 

 

 細く長い、上りのエスカレーター。
 裁判官の後ろ、左側のドアの先にそれがあった。天国への階段、ならぬ、天国へのエスカレーター。白い翼の男と連れ立って、俺は昇っていく。
 高く、高く――。 
 期待に気持ちも、自然と高まる。
「天国ってのは、やっぱこう、花とか咲き乱れていたりするんですかね」
「行けば分かる。もうすぐだ」
「そうっすよね」 
 果てしないのではないかと思われるエスカレーターを、さらに昇っていく。
 高く、高く。
 そして、ついに――。
 昇りつめたその場所には、小さな白い空間があった。正面にはドア。俺は白い翼の男を振り返った。促すように男が頷いたので、俺はそのドアのノブに手をかけた。
 ゆっくりと、扉を開ける。
 俺の視界に、別の色が広がる。
「…………?」
 そこはくすんだ灰色で占められていた。細長い通路が、ただ真っ直ぐに続いていた。先はここからではよく見えない。狭い通路の両側は壁。天井もそう高くはない。いずれも打ちっぱなしのコンクリートのようだ。俺は男を振り返った。男はまた促すように頷く。仕方がないので、俺はその通路を歩き始めた。
 コツ、コツ、コツ……。
 二人の足音だけが響き渡る。先は一向に見えない。どうやらまだ、天国へ辿りついたわけではないようだ。
 随分、長い通路だな。ここは電動っつーか、自動じゃないんだ。疲れるな――。
「よし、ここだ」
 突然、男が言った。
「ここ――って?」
 俺の質問には答えず、男は近くの壁に右手をあてた。
 ギュン。
 低い小さな音がして、いきなり壁にぽっかりと穴が開いた。ちょうどドアのような形に。瞬時に、その先の光景が目に入る。通路と同じ色で占められた小さな空間。その中に長細い台のようなものが、壁に沿って置いてある。ベッドくらいの大きさ。対する壁には黒ずんで汚れた洗面台。その奥にトイレ。それだけが、狭い空間に配置されている。
「ここがお前の部屋だ」
 言葉はちゃんと聞こえたが、意味を理解するまでかなり時間がかかった。やっとの思いで俺は言った。
「ここが……俺の部屋?」
「そうだ」 男は冷たく言い放った。
「でも、でも……ここは――」
 俺は懸命に言葉を続けた。
「まるで刑務所みたいだ。天国じゃないのか、ここは――」
「はああ……」
 途端、白い翼の男は大きな溜息をついた。
「君はさっき、ちゃんと説明を聞いただろう? 天国、そして地獄の役割を」
 俺は男を見つめた。言ってる意味が、よく分からなかった。
「いいかね。天国は君のような、汚れた魂を浄化させる所なんだ。再び美しい魂に生まれ変わるためには、己を律し、欲を捨て、規則正しい生活を送り、勤労に励む。そういう、人として当たり前のことができなければならない。それをここで、改めて身につけるのだ。もっとも腐りきった魂は、そう簡単には変らない。言葉で分からぬ者には、必要に応じて懲罰も与えられる。更正の道は、遠く険しいのだから、心して望むように」
 俺は呆然としたまま、男の話を聞いていた。今度はなんとなく意味が理解できた。天国が聞いて呆れる。じゃあ、じゃあ――。
「地獄は一体、どうなってるんだ?」 俺は呻くように呟いた。
「地獄――」 忌々しそうな表情で、白い翼の男は語る。
「あそこは魂を堕落させる所だ。己の欲望のまま、好き放題のことが許される。ありとあらゆる欲が、際限なく満たされる所。ああ、口に出すのもおぞましい」
 今度ははっきりと意味が分かった。なんだか頭がジンジン痛くなってきた。耳鳴りもする。キーンとする。
「とにかく、しっかり励め。醜い魂を浄化させ、美しい魂となって転生するのだ」
「転生……」
「そうだ」
 そうか、転生――その手があった。ここは我慢だ。我慢して、早く生まれ変わればいいんだ。
「頑張れば、どの位で転生できる?」 俺は尋ねた。
「そうだな、今の人間界は飽和状態だから、少し時間がかかるな。まあ、ざっと四千年くらいだろう。じゃあ、頑張るんだぞ」
 そう男は笑顔で言った。その瞬間、男の姿が消え、灰色の壁が再び目の前に現れた。
 コツ、コツ、コツ……。
 白い翼の男の遠ざかる足音だけが、耳に響く。頭はまだ痛い。耳鳴りも酷い。なんだか目も、チカチカして痛い。
 チカチカ、チカチカ、チカチカ……。
 銀色の粉が、灰色の壁の上で、舞い散ったように見えた。

 

  終わり  
 
  拙い作品を最後まで読んで下さって、感謝致します!
ご感想、ご意見などございましたら、お聞かせ下さいませ。
  メールフォームへ  
 
 この作品は「楽園」サイトに登録致しております。
もし、お気に召して頂けましたらなら、よろしく投票してやって下さい。
(「2001年登録・作者名・anya」で検索して頂くと、投票ページに飛べます)
[楽園]
 
 
 
  novelに戻る         前へ    
  天国と地獄・3