短編集2                  
 
  Dreams come true  
             
 
 

 

 僕は手に持った小さな紙切れを丸めた。それをまた広げる。そしてまた丸める。
 さっきから、何度それを繰り返しただろう……。
 丸まりすぎて指に絡み付いているその紙を、僕はもう一度丁寧に広げた。
 第一志望 D
 第二志望 C
 第三志望 C
 それは模試の結果だった。何度見たところで、評価が変るはずもなく――。
「はあ……」
 僕は小さな溜息をついて、一つ伸びをした。
 爽やかな風が吹き抜ける。清とした空気が満ちている。公園のポプラは黄金色に輝き、生命あることを謳歌するかのようにざわめいている。
 僕はこの公園が好きだ。来年も、再来年も、そのまた先も。秋が訪れる度、必ず美しい景色が約束される、この公園が好きだ。涙が出るほど、綺麗な風景。約束された、未来……。
 途端、目の前の景色がぐらりと揺れた。何だか涙腺がおかしい。僕は一つ瞬きをした。歪んだ景色は直ぐ元に戻った。
 全く……バカバカしい――。
 僕は心の中で呟いた。
 あれこれと将来を不安に思うより、今、やれることをやれってんだよな――。
 僕はベンチから立ち上がった。かばんを肩にかけ、立ち去ろうとしたその時、また、景色が揺れた。
「……?」
 涙腺は大丈夫なようだ。なのに目の前の景色は、水面を通して見るかのように揺らめきを止めない。そのうち、さらに奇妙なことが起きた。くすんで行くのだ。輝きをなくし、艶をなくして色が褪せていく。風も感じない。葉がさわさわと擦れる音も、遠くなっていく。
「一体?」
 そう小さく呟いた時、僕は灰色に染められた空間の中にいた。全てのものに動きがない。後ろを振り返る。やっぱり同じだ。目に映る全てが灰色で、時が止まったかのように動かない。
 どういうことだ? 何が起こったんだ――。
 混乱したまま、僕は前に向き直った。
「うわっ!」
 思わず大声を出して、僕は後ろにのけぞった。反動で、転びそうになる。とは言っても、それほどびっくりするようなものがあったわけではない。ただ、振り向いたすぐ後ろに、しかも、この灰色の世界の中で、唯一色鮮やかに存在していたことが、僕を大仰に驚かせてしまったのだ。それは――。
 少女……で、あった。
 年は、さほど僕と変らないように見える。おそらくは高校生。ひょっとしたら、かなり大人びた中学生かもしれない。えんじ色のブレザーに、膝頭がちょうど見えるくらいのチェックのスカート。制服のようだが、この辺りでは見かけないものだ。顔は、間違いなく美人。くっきりと長い睫に縁取られた瞳と、ややふっくらとした唇が、共に濡れたように光っている。だが、一番僕にとって印象的だったのは、その緑なす長い黒髪だった。艶やかな色合いと、一本一本が風に遊びながら光り輝くさまが、何とも言えず美しかった。
 しなやかに、滑らかに、風にそよぐ緑の黒髪――。
「あっ、風――」
 僕はようやくその事実に気付き、それを声にした。瞬間、その少女が微笑む。何故か頬が熱くなる。
「あの……」
 僕は口篭もった。
「その……」
 言葉が出ない。
「あ――」
 何とも情けない。
「パラレルワールド」
「えっ?」
「パラレルワールド」
 やや高めの、透明な声で彼女は言った。僕は相槌すらうてず、ただ彼女を見つめた。彼女も微笑を湛えたまま、僕を見ている。結局、先に口を開いたのは彼女だった。
「時々起こるの、こういうこと」 耳に心地よい澄んだ声が、なおも続く。
「あなた達の世界とわたし達の世界。所々、時空が接触してるのね。歩き方は、全く違う世界なのに」
「歩き……方?」
 何故かその言葉が引っ掛かって、僕は尋ねた。
「そう、時間の歩き方」
 彼女は答えた。僕は『?』マークだらけの頭の中を、顔全体で表現した。彼女の唇から、白い歯がこぼれた。にっこり笑うと、微笑している時よりも子供っぽく見える。
「歩き方――というか、歩く時の向きが違うの。わたし達の世界は前を向いて歩く。あなた達の世界は後ろ向きに歩くようなもの。ただ、それだけの違いなのだけど」
「う〜ん」
 消えない『?』マークを、今度は声で表現してみた。その反応を予期していたかのように、彼女はほとんど間を置かず言葉を続けた。
「つまり、時間軸。わたし達は時の流れの上を歩いているわけでしょう? 過去から未来へ。その時、あなた達は後ろを向きながら歩いているの。過去の方を向きながら。だから、あなた達には未来が見えない。先が分からない」
「なるほど」
 今一つ理解ができなかったが、とりあえず僕は頷いた。
「でも、わたし達は逆。前を、未来を見ながら歩いている。これから起こることを把握している」
「これから起こることを?」
「そう」
「そんな馬鹿なことが、あるわけ――」
 僕はそこで、言葉を切った。僕の発した声が、予想とは違うトーンで鼓膜を震わせたからだ。今のは僕の声じゃない。いや、僕の声に重なってもう一つ、別の声――そう、彼女の声……。

 
 
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