短編集2                  
 
  Dreams come true  
             
 
 

 

「よう!」
 突然声をかけられ、僕は立ち止まった。
「……あっ、ヨッシ」
「四年ぶり――だよなあ。なんだお前。まだ音楽やってんのか」
 そう言ったヨッシ――大学時代のバンド仲間だった友達は、一目で上等だと分かるコートを身に纏っていた。中から覗くスーツも、着慣れた感じで様になっている。いい年をして定職にもつかず、ギター片手に街へ繰り出している自分とは、格が違う人間に見えた。
「うん。まあ……」
 僕はもごもごとした調子でそう答えた。
「そうか……で、どうなんだ?」
「どうって?」
「相変わらず、夢を追いかけて……か?」
「…………」
「そりゃ、人それぞれだからな。別にケチつけるつもりはないが」
 ヨッシはそこで、手に持っていたアタッシュケースを持ちかえた。左手の薬指が銀色に光った。
 そうか、そういや、結婚したって言ってたな――。
「適当な所で諦めるのも、大事だと思うぜ」
 ずしりと言葉が心に響く。
「Dreams come true――なんて言葉があるが、それは夢が叶った人間が言う言葉だ。叶った人間にとっては、確かにそれは真実なんだろうけど。だが、途中で挫折した人間も、たくさんいるはずだ。夢を叶えたやつより、遥かに多く。でもそういう奴は、夢を語ったりはしないからな。夢は叶わないもんだ!――なんて、声高に言ったりはしないだろう」
 そんなことは、僕だって分かっている。努力すれば報われる。思い続ければ夢は叶う。そんな単純に、幻想を信じているわけではない。ないけど――。
「まあ、格好はその方がいいんだがな。夢を追いかけてるって方が」
 ヨッシは笑った。どことなく余裕が感じられる笑みだった。
「悪い。気にするな。なんつーか、ひがみもあるんだよ。なんたって、早々に夢を諦めて、今はしがないサラリーマンだからな、俺」
 ひがんでいるのは僕の方だ――そう心で答えながら、僕は笑みを作った。
「ああ、分かってる」
「そうか。じゃあ……俺。今夜はうちに直行しなくちゃならないから、また今度。ゆっくり話そうぜ。連絡するよ」
「うん。じゃあ、また」
「おう!」
 大通りの人ごみに呑まれていくヨッシの背中を、僕は見えなくなるまで目で追った。不意に、居たたまれない気持ちでいっぱいになる。逃げるように、細い路地に入り込む。
 奥へ、奥へ。逃げるように……。
 ふわり。
 その時、視界を優しく過ぎるものがあった。僕は顔を上げた。一つ、二つ。白い、空からの贈り物。
「雪……だ」
 五つ、六つ。風に緩やかに遊ばれながら、雪は絶え間なく落ちてくる。
 ビルとビルの間の、この小さな隙間にも、分け隔てなく空があるんだ。
 そう思うと、余計に雪の白さが嬉しい。青みがかったその白さが眩しい。その、白さが……。
「……?」
 くすんでいく。輝きが失われていく。それに伴い、周りの色が褪せていく。
「これ――は」
 僕は後ろを振り返った。全てが灰色。そして全てが止まっている。遠い記憶。ほんのひとときの記憶。にも関わらず、今も鮮やかに蘇る記憶。
 僕は確信を持って前に向き直す。
 ああ、やっぱり、やっぱり――。
「また、会えたね」
「また……そうね。またなのよね。わたし達」
 今もなお鮮明な記憶を残していたその少女は、すっかり大人になっていた。整った顔を際立たせる薄っすらとしたメイク。美しい丸みを帯びた体の輪郭を、さり気ないレベルで露わにする服。そして、長い黒髪。大きく緩やかなウェーブがかけられた緑の黒髪が、柔らかく風にそよぐ。
「そうだよ」 僕は静かに言った。
「また、なんだ、僕達。八年ぶり――になる。覚えていないだろうけど」
 彼女は赤い唇に微笑を湛えた。
「ええ。わたし達に、過去の記憶はないから」
「うん。分かってる。前に教えてもらったから」
 僕は彼女を見つめた。
「この前は、いきなりで……。もっと、ゆっくり話したかった。君のこととか、聞きたかった。今日は、どうなんだろう? そういや名前も――」
「残念だけど、あまり時間はないわ」
 涼やかな声が凛とした空気を震わす。その音は耳に心地よいが、その意は心を波立たせた。
「そんな――じゃあ、次、次はいつ会える」
 つくづく成長がない――と苦笑する間もなく、彼女が即答した。
「会えないわ」
 なんの揺らぎもない、彼女の口調が寂しかった。
「そうか。そうだよな」
 良い言葉が浮かばない。だが、無言のままこの時を終わらせたくない。僕は懸命に言葉を繋いだ。
「そう。こんなこと、しょっちゅう起きることじゃないだろうし……そうか。うん」
「そうね」
 彼女の言葉が僕の言葉に重なる。
「でも、また二つの時空が交わることがあっても、わたし達は会うことが出来ないわ。だって、わたしは明日、いなくなるから」
「いなくなる? どうして?」
 僕は思ったままを口にした。彼女は優しく微笑んだ。
「殺されるの。明日」
 しばらく声が出なかった。ぽかんと口を開けたまま、微動だにせず彼女を見つめた。それに反して頭の中は、かつて経験したことがないほど高速で回転した。
 殺される? 誰に? なんで?
 高速だが、同じ言葉ばかりのどうどう巡り。そのうち、違う言葉が生まれる。
 なんで笑ってる? 殺されるって、なんで微笑みながら言うんだ?
 何度か繰り返して、ようやく結論のようなものに辿りつく。
 知っていたから。あらかじめ未来が分かっていたから。
 そして、またどうどう巡りの疑問。
 だからって、それでいいの? それで、それで――。
 やっと僕の口が動いた。

 
 
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  Dreams come true・3