短編集2                  
 
  例えばそれも〜とある日常〜  
           
 
 

 

      一  

「待って、待ってよ、武(たける)ちゃん! 一緒に帰ろうよ」
 照(てらす)は背の高い学生服姿を追いながら言った。
「そんなに怒んないでよ、武ちゃん」
「ほっといてくれ」
 学生服が、赤信号に立ち止まる。
「照も内心笑ってるんだろう。バカなことばかりやってるって」
「そんなことないよ、そんな風には思ってないもん」
 照は大きな目を輝かせて首を振った。
「ただきっと、武ちゃんには念動力は備わってないんじゃないかと……」
「どーせそうだよ。三時間もかけて、ティースプーン一本曲げられないんだから」
「あ〜ん、ひがまないで。照が言いたいのは、きっと武ちゃんにはもっと他の力があるんじゃないかって」
「他って言っても」
 武はぼそぼそとした声を出した。
「ずっと前にやった透視力テストも散々だったし、文化祭の時にやった降霊会も、十二時間頑張ったあげく、な〜んも起こんなかったし。この世に生まれて十八年、一度もUFOを見たことないし……」
「それは……。たまたま調子が悪かったとか、向こうの都合とか、そういうこともあるんだろうし」
 照はそこで、肩にかかる真っ直ぐな黒髪をこくんと振った。
「んでもね、武ちゃん。照はそんな武ちゃんが好き。当たり前の生活に満足してる男なんて、つまんない。その点、武ちゃんは常に夢を追い続けて、日常の小さなこと――例えば、この前のテストで赤点五つあったとか、留年して照と同じ学年になっちゃったとか。そんなくだらないことなんて全然気にしてないんだもん。凄いよね、武ちゃん」
「それ、褒めてるつもり?」
「うん」
 照はにっこり笑った。赤ん坊のような、無邪気な笑顔。武はその笑顔が大好きだった。
「照……」
 ドカッ、ビガッ、ヒギュギュギュ!!
 突然、奇怪な大音響が二人を包んだ。その瞬間、二人の姿が掻き消えた。その欠片も、気配すらも残さずに、二人は消えてなくなった。
 信号が、青に変わった。


「……この際、止むを得ないだろう。今さら補充は不可能だ」
「そうね。とすると、問題は彼をいかにして、この現状に適応させるかだけど……あっ」
 武は薄っすらと目を開けた。辺りは薄暗く、そこは洞窟か何かのようであった。ゆっくりと頭を動かす。傍らに照が横たわっている。
 照――。
 武は上半身を起そうとした。
「気がついたのね」
 女の声がした。
「その子は大丈夫。怪我はないわ。今に目を覚ますでしょう。それより」
 そこまで言うと女は言葉を切った。
 豊満な体。黄金の髪。彫りの深い顔立ち。どこから見ても自分とは人種が違うのだが、言語は日本語。しかし武はそのことを、さほど気には止めなかった。それよりも、はちきれんばかりの肉体を惜し気もなく披露できるよう、最小限の表面積しか持たない衣服に目が行く。着衣からはみ出したブロンズ色の胸が、揺れる。わずかにそこが、汗ばんでいる。武は急に気恥ずかしくなって、視線を上にスライドさせた。
 整った美しい顔。野性的な光を放つ猫目石のような瞳。その奥には、何日間もの飢えを耐え忍び、やっと獲物を手に入れた女豹を思わせる輝きが宿っている。女はその目でじっと見つめながら、武ににじり寄った。
「な、何なん……です……か」
 武は明らかに圧倒されていた。
「あんた……一体、誰ですか? それに、ここは――」
 女の厚ぼったい唇が、武の鼻先まで迫った。少し下唇を突き出すようにして開くと、甘く喘ぐような声を出した。
「助けてちょうだい――わたしを」
「たっ、助ける?」
 武は後ろへとずり下がった。ひんやりとした洞窟の壁が背中に当たる。
「そう。あなたに手伝って欲しいことがあるの。そしてわたしを、わたし達を助けてちょうだい」
「手伝うって――なっ、何を」
「お願い、わたしを助けて。ねえ、お、ね、が――」
「武ちゃん!」
 いつもの照の明るい声。ただし、その深部に戒めるような音色が含まれている。
「あら、気がついたのね。お嬢さん」
 女は髪をかき上げながら言った。やたら色っぽい。
「ちょうど良かった。今、彼にも話してたんだけど、あなたも一緒に聞いて下さる?」
 照が小声で囁いた。
「武ちゃん、この人、だあれ?」
「知らないよ。僕も今、気がついたところなんだから」
「本当に?」
「うん」
「ホントにほんと?」
「本当だってば」
「あやしいなあ……」
 上目遣いの照の目が怖い。
「仲がいいのね、お二人さん」
 ハスキーで艶のある声を出した金髪女を、照はもっと怖い目で睨んだ。
「心配いらないわ。彼の言うことは本当よ」
 年の差だけではないオーラの違いを見せつけながら、笑う。
「それより、大事な話があるの。一刻を争う、わたし達の運命に関わる――」
「そこから先は、私が説明しよう」
 金髪女の陰から、不意に男が現れた。背の高いがっしりした体格。口ひげを蓄えた厳しい顔。そして、目にも眩しい真っ白な軍服。多分……軍服。肩につけられた金の房飾りが、妙に空々しい印象のその軍服男が、朗々とした声で話し始めた。

 
 
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