短編集2                  
 
  例えばそれも〜とある日常〜  
           
 
 

「映画」
 明るく透明な声で照が言った。
「……エイガ……」
「うん」
 照の頭がこくんと揺れる。
「……えいが……」
「そっかあ」
 照は人差し指を右の頬にあてがった。
「武ちゃんは、今まで知らなかったんだっけ」
「……映画……」
「そだよ。全部、映画」
「……つーことは、何か? みんな、嘘? 作り話っていう?」
「タイトルは、『パッポンピッポロ星の逆襲』っていうの。でもって、武ちゃんはその中の戦士の役。なんかね。撮影中に事故があって、その役の人が次元ポケットに落っこちちゃったんだって。で、その時に、ちょうど照と武ちゃんが同じようにその次元ポケットにはまっちゃって、代わりにここに来たってわけ。それでもって――」
「待て、待て。次元ポケットってのは? じゃあ、ここは?」
「あなた達の時代から、かっきり二百年後のパッポンピッポロ星よ」
 照の頭越しに、金髪女が微笑みかけた。
「その部分は、紛れもない事実。ただし、ここは無人星」
「無人――星」
「そう」
 女は右手で髪を払った。何気ない仕草だが、色っぽい。
「これだけ大掛かりのセットを組むのは、無人星が一番。有人星ではいろいろ制約があるから、費用も時間も倍以上かかってしまうものね。それでも、この映画は桁外れの規模だから、今回のアクシデントは大きな痛手だったわ。一日の撮影の遅れが、どれほどの損害になるか。それで、賭けではあったけど、あなたを使うことにしたの。手法自体は珍しくないけどね。あなたの資質は未知の状態だったから」
「手法? 資質……?」
「今の時代、映画は完全に世界を作り上げることから始まるの。ミニチュアやCGで、こせこせ画面を作るやり方も、あるにはあるけど。まっ、今の流行りではないわね。そしてもう一つ、主演に役者を使わないというのも、最近の流行。細部まで徹底的に作り上げた架空の世界に、全くの素人をそれと知らない状態で放り込む。そこから先は、完全なドキュメント。この時、個人の資質によって、向き、不向きがあるのよね。あまり変化が激しいと、パニックを起してどうしようもなくなる場合があるけど。その点、あなたは素晴らしかったわ」
「そりゃ、どうも」
 褒められているようなので、武は一応、礼を言った。金髪女はまた髪を払った。なにげに、いい匂いが漂う。
「編集作業が楽しみだわ。今回は、かなりの数のカメラを使ったし」
「でも、カメラなんて」
 武はそこで疑問を呈した。今までの話の中でも、そうすべき箇所はたくさんあったが、あまりにも突飛で機会を失っていたのだ。
「あんな状態で、一体どこにカメラが――」
「ここよ」
 金髪女が人差し指を一本立てて微笑んだ。上を指してる。天井を見るが、何もない。
「そこじゃないわ。こ・こ・よ……」
 あらぬ想像をかきたてるような声で金髪女は言った。
「指の先」
「……あっ」
 武は小さく声を上げた。金髪女の白い指先に連なる、鮮やかな赤紫色の長い爪。その先端に、蚊より一回り小さなものが乗っかっている。虫のようだが虫じゃない。足は四本、胴体は円柱を倒したような形。節もなければ、頭もない。
「これが……カメラ」
「すっごいよねえ」
 照が金髪女と武の間に割り込むようにして身を乗り出した。
「こんなんで、あんなに綺麗に撮れるんだもん」
「この最新鋭のカメラを二百台、使ったのよ。他にも、今回の映画は画期的な試みがいくつもなされているの。例えば……」
 金髪女はそれらについて、果ては、この映画の深遠なるテーマについて、延々と話し続けた。甘く囁くような喋り方は、耳と体に心地良かったが、その意には、別に興味がなかった。革新的な試みも、自由も誇りも正義も。バーチャルな世界で繰り広げられる愛も。武はどうでも良かった。それより――。
「あのさ」
 相手の話が終わるのを待たず、武は口を開いた。
「映画の話はもういいよ。それより、もう、帰りたいんだ」
 ぶっきらぼうにそう言うと、武は照を見た。
「……武ちゃん」
「照と僕、ちゃんと帰してくれるんだよな」
 言葉にして、急に不安が募る。二百年後のこの世界が、映画の中のような酷いモノではもちろんないのだろうが、このままずっとなんてのはごめんだ。早く帰りたい。退屈だろうと、刺激がなかろうと、当たり前のようにあったあの日常に戻りたい。武の声が、自然と鋭くなる。
「事故って言ったよな。撮影中の事故って。ということは、あんた達の責任なんだろ? 僕達がここにこうしているのは。だから、ちゃんと責任とって、僕達を元に――」
「もちろん」
 金髪女の赤紫色の爪が、武の目の前で止まった。
「ちゃんと帰してあげるわ。責任をとって、今すぐに」
 予想以上の最良の答えに、武はたたみ掛けるように聞いた。
「すぐって、今すぐ?」
「ええ」
「元の場所に? 元の時間に?」
「そう、元の場所に。でも、時間は一週間ほど後になるわ」
 金髪女の指先が、ゆっくりと円を描いた。とんぼじゃあるまいし――と思う武の横で、照の頭がその動きに合わせてふらふら揺れる。
「同じ時空にもう一度穴を開けるのには、どうしてもそれだけのタイムラグが生じるの。ごめんなさいね。でも、それ以外は、全て同じよ。同じ……同じ……」
 武は、完全に目が回っていた。そして、頭の中も。
 ぐるぐる……ぐるぐる……ぐるぐる……。

 

 
 
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  例えばそれも〜とある日常〜・4