短編集3                  
 
  プライバシー買います  
           
 
 

「あんたを信じるよ。あんたに任せる」
「ありがとうございます」
 束ねた髪を揺らして、彼女は勢いよく頭を下げた。その頭がすぐ跳ね上がる。
「あっ、でもまだ、報酬金の説明が」
「いいよ、別に。俺が貰うわけじゃないし。かみさんに言ってくれ。ていうか、レベルが高いほど、金額も高いんだろ」
「ええ、そうです」
「なら、こっちは何も言うことはない」
「はい。では、受取人は奥様ということで。この契約書にサインをお願いできますか?」
 請われるまま、サインをする。
「あと、契約映像を撮りますので、こちらのカメラ、いえ、携帯に向かって契約書を読み上げて下さい」
「契約……映像?」
「ええ。未来においては全ての契約が、書面と映像の二本立てなんです」
 随分と面倒なんだな。
 と思うものの、別段逆らうべきことではない。これも、彼女の言う通りにする。
「ご契約、ありがとうございました」
 すくっと立ち上がった彼女は、もう一度深々とお辞儀をした。俺も合わせて立ち上がる。
「それでは、私はこれで。奥様や、他の方々との契約がありますので」
「ああ」
 彼女はとびっきりの笑顔を俺に向けると、踵を返した。小走りに駆け、角を曲がろうとしたところで、急に立ち止まる。
「あの……」
「ん?」
 振り向いた彼女の表情が、少し堅い。迷うように目を伏せ、そして思いきったように、顎をくいっと上げる。
「あの、頑張って下さいね」
 切なそうな目でそう言われ、俺はとまどった。おそらくは、俺の今後を踏まえた上で言っているのだろうが。
 どうやら未来の英雄になる道は、結構ハードなようだ。でも……。
 俺は大きく笑った。
「うん、頑張るよ」
 彼女の顔が、ひまわりのように明るく輝く。その笑顔がビルの壁の向こうに消えてもなお、しばらくの間、俺の心は晴れやかだった。
 どんなものかは分からないが、俺の未来には明るい星がある。無論、これからの行い次第で、塵と消えてしまうこともあるのだろうが。頑張れば必ず報われるという、保証を得たのは大きい。多くの場合、その確証がなくて、希望が不安に押し潰されてしまうのだから。
 そこで初めて、俺は辺りを見渡した。
 はて、ここはどこだ?
 見覚えがあるような、見覚えがないような。そんなどこにでもあるような路地を眺めていても仕方がない。俺は、とにかく大きな通りへ出ようと歩きだした。友里が消えた角を目指す。案の定、曲がったとたん、その先に広い通りが横たわっているのを発見する。
 俺は、路地の左方に置かれた大きなごみ箱をよけながら進んだ。その傍らに、酔っ払いが蹲っている。もし、昨日までの俺なら、ちらっと横目で見ただけで通り過ぎたであろう。その酔っ払いが風邪をひこうが、寝てる間にスリに合おうが、知ったことではない。だが、今日からの俺は違う。未来の英雄として、振舞わなければならない。カメラは今も、俺を狙っているのかもしれないのだから。
 よしっ。
 俺は心の中で一つ頷くと、そのサラリーマン風の男の前に跪いた。肩に手をかけ、軽く揺する。
「もしもし。起きた方がいいですよ。もしも――」
 ぐらりと酔っ払いの体が動く。とっさに抱えるようにして支えたが、男はそのままごみ箱にもたれかかるように倒れた。
 男の背に回した右手に、妙な感触が過る。ねとっとした、そして固い……。
 ひっ?
 反射的に俺は飛び退き、そのまま尻餅をついた。
 今、触ったのは何だ?
 薄暗い路地で、目を凝らす。その男の背にあるものを見つめる。鈍い、銀の光を含む突起物。
 ナ、ナイフ……?
 俺は慌てて自分の手を見た。赤黒く染まった掌に震える。がくがくと震える。震えて、混乱して。
 俺の目が、あることに気付きそこに据えられた。横たわる男の顔。俺より少し若いその男の顔が、見知った顔と重なる。

 ……課……長……。



「いやあ、ご苦労だった。レベル4の契約を取ってくるとは、さすがだな」
「お褒めに預かり恐縮です」
 その女は、長い髪を右に揺らして言った。
「できればそれを、お給料の方に反映して欲しいのですけど」
「ははっ」
 小太りの、頭のてっぺんが少し薄くなっている男が笑った。
「強く局長に、アピールしておくよ。で、その後どうだね。人類史上、最後の冤罪による死刑となった男の取材は」
「順調ですわ。残すところ、死刑執行の瞬間のみです」
「そうか」
 男はそう言うと、窮屈そうに、モニターが並ぶ室の椅子に体を沈めた。
「しかし、本当に彼は不運だな。もう少し刑の施行が遅ければ、冤罪を暴くことができたのに。時空間移動の発明まで、後ほんの一ヶ月だったのだから。逆に、もう少し早く判決が下されていても、事態は違っていただろう。凶悪犯罪が増え、見せしめも兼ねた厳しい判決が多発した時期に、裁判が行なわれたのでなければ」
「でも、その不運があったからこそ、彼は伝説の人となったのですわ。彼は素晴らしいです。死を前にして、穏やかで、何の乱れもなく」
 彼女の瞳がくりっと輝く。
「尊敬しますわ、とても」
 壁一面のモニターを、食い入るように見つめる。映像が揺らめく。まさしくその瞬間の光景を、女はうっとりと眺めた。

 

  終わり  
 
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