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★幕末の大きな流れの中の守護職(会津藩)の動き⇒「幕末:開国開城」
★嘉永4年以前(8代藩主容敬治世以前)の会津藩略年譜はこちら
■嘉永5〜 万延1 |
嘉永5−容保、9代会津藩主を継ぎ、肥後守に任ぜられる。 嘉永6−幕府、会津藩に品川砲台を警備させる。 安政6−蝦夷地に領地を得る。 万延1−桜田門外の変に関して水戸藩武力制圧に反対する。 |
■文久2 (1862) |
5月−容保、幕政参与に任命される。所司代内命を断る。 6月−容保、春嶽の幕政参与辞任の翻意を促す。 7月−幕府、守護職を設置。容保に内命。 8月−守護職就任をめぐる越前藩の説得。 閏8月−幕府、容保を守護職に任命。 9月−容保、幕府に公武一和と三港外閉鎖の建白 10月−容保、勅使待遇改善に周旋 11月−島津久光の守護職任命に反対 12月−入京 |
■文久3 (1863) |
1月−容保、初参内 2月−容保、言路洞開を建白。足利三代将軍木像鳩首事件 3月−残留浪士組会津藩預に 6月−孝明天皇、容保に宸翰 7月−会津藩、天覧馬揃え 8月−禁門の政変(8.18の政変) 10月−孝明天皇、容保に宸翰 11月−京都守護職御用屋敷完成 12月−容保、朝廷参与を命じられる |
■文久4/ 元治元 (1864) |
2月−容保、二条家と相敬の約を結ぶ。天皇、容保に宸翰を下賜。幕府、会津藩に5万石増封。征長戦をにらんで、幕府、容保を軍事総裁職に任じ、春嶽を守護職に任命。 3月−参与会議崩壊。容保参議辞任。幕府、春嶽の守護職辞任を許可し、容保を再び守護職に任命。 4月−会津藩、守護職辞表運動。桑名候松平定敬の所司代任命。会津藩、守護職を請ける。 6月−池田屋事件 7月−禁門の変 8月−会津藩、洋式砲術を主流とし軍制改革 10月−第一次征長戦(幕長戦)始まる 11月−慶喜に天狗党追討の勅命。会津藩も従軍。 |
■元治2/ 慶応元 (1865) |
2.月−幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止。将軍上洛を促すための容保の東下中止の内旨。 3月−容保、病につき黒谷に本陣移転。老中、会津藩への疑問氷解 4月−容保快復・参内。 5月−幕府、会津藩への手当て支給開始。 6月−一会桑、老中阿部、参内して長州支藩召喚を奏請・勅許される 9月−将軍入京。長州再征の勅許 10月−条約勅許。会津藩、薩摩藩との修復を図るが大久保一蔵に拒否される。薩摩兵入京。 11月−薩摩兵入京は対会津との風評。 |
■慶応2 (1866) |
1月−容保、長州処分をめぐって老中と慶喜の間を周旋 4月−一会桑参内し、長州厳重処分を奏請・勅許を得る 6月−第二次征長戦始まる 7月−将軍家茂死去。会薩開戦のうわさ流れる。 8月−容保、守護職を所司代に譲り、率兵決戦することを主張。容保、慶喜批判の書簡を慶勝に。休戦の沙汰。薩藩士、慶喜と会の不和を大久保に伝えともだおれを願う。 10月−守護職辞任を申請 12月−容保、慶喜弟の余九麿を世子として養子に。慶喜に将軍宣下。孝明天皇死去。 |
■慶応3 (1867) |
1月−慶喜、朝廷への征長解兵奏請使者として容保・定敬を任命。容保、評議の上、断る。 2月−会津藩の守護職辞職・東帰運動 3月−老中、余九麿入京後の一時帰国内定を告げる。余九麿入京。 4月−会津藩、容保帰国聴許を二条摂政に求めるが延期を要請される。容保、帰国を幕府に請う。 5月−会津藩、、中川宮出仕を要請(大原議秦就任阻止)。兵庫開港と長州寛大の勅命 6月−会津家老容保早期帰国許可申請の参内。新選組、幕臣取立て。 10月−大政奉還。慶勝、容保に守護職引退を勧告(会津は従わず)。 11月−守護職の進退伺い。 12月−会津藩、長州の上坂の朝命に中川宮とともに反対。岩倉、後藤のクーデター延期要請を「会桑新撰」の動きを理由に拒否。王政復古クーデター・小御所会議(辞官納地と守護職・所司代罷免)。慶喜、会桑を連れて二条城を退去し、大坂城へ。 |
■慶応4/ 明治元 (1868) |
1月−鳥羽伏見の戦い。慶喜、容保・定敬を連れて大坂脱出。軍艦で江戸へ。 2月−慶喜、容保・定敬の登城さしとめ。慶喜江戸城を出て謹慎。恭順派の会津藩士神保修理自刃。容保、会津へ帰国。武備恭順を命令。 4月−江戸開城 |