慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いで薩摩軍の指揮下、戦った三樹三郎ら御陵衛士残党は、油川錬三郎・相楽総三らとともに、綾小路俊実(前侍従、大原重徳の息子)・滋野井公寿(侍従)を奉じ、江州松尾山にて赤報隊を結成し、同月11日に新政府のお墨付きを得た(東海道鎮撫総督下に桑名進撃を命ずる書)。相楽は翌12日に年貢半減令の建白書と嘆願書を太政官に差し出した。これは、建白書と嘆願書を受けて出されたとされる太政官の沙汰書(写し?)である。(2007.5.6) 翻刻文(仮)はこちら。 写真の転載・転用は絶対に禁止です(URLの掲載で代用してください) 管理人自身が、所蔵者であるご子孫に、目的を説明してご理解いただき、写真を撮らせていただき、それらを掲載させていただく立場です。転載・転用の許可は一切出せません。生データの提供もありえません。ご理解ください。(不正ダウンロード防止のため、画像にノイズをいれています)。また、悪用されることが怖いので、画像への直接リンクも一切お断りします。 |
誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士