誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士

徒然トップ HPトップ


.墓参は死者を悼む心をもって・・・。 (2000/2/27)


京都の光縁寺は新選組に粛清された人々の墓所です。その本堂には新選組全隊士の慰霊のための壇が設けられています。光縁寺の方が用意された墓参ノートもあり、追悼の気持ちを記すことができます。

光縁寺の墓参ノートでショックを受けたこと

光縁寺は商業化されておらず、本堂はいつも静かで、心を落ち着けて記帳をできて好きでした。しかし、2000年の春、この墓参ノートでかなり不愉快、不愉快を越して、あまりのことに涙が出て来るような思いをしたことがあります。光縁寺に眠る隊士を殺した側である土方歳三の漫画同人誌の宣伝ちらしが、ノートの見開きにでかでかと貼ってあったんです。大きく描かれたイラストは土方歳三でした。そのことに怒りを覚えた方が、その宣伝ちらしの上に抗議の書きこみ(ちょっと乱暴な書きぶり)をされていましたが、それに対して「ひど〜い。なにをしようとその人の自由!」という応答の書きこみがいくつもあり、それを読んで、すっかり脱力してしまい、ノートを閉じてしまいました(T_T)。

自由というのは何をしてもいいということでしょうか。自律のない自由は単なる自分勝手ではないのでしょうか。

壬生のノートは個人のノートが何冊も置いてあるものですし、読みたくなければ読まないという選択があります。しかし、光縁寺のノートはご本堂に置いてあるものでしかも一冊ですから、いやおうでも目にはいります(それを狙っての宣伝なのでしょうが)。しかも、光縁寺は土方に壮絶な恨みをもって亡くなったとされる山南・松原・河合の墓所でもあります。観光化した壬生寺とちがって光縁寺までわざわざ墓参にくる人には彼らのファンも多いし、純粋に彼らを追悼にきている人間も多いはずです(わたしはそのひとりです)。土方にいい感情をもっていないファンだって来ているでしょう。墓参ノートにおける宣伝行為も不愉快でしたが、死者と彼らを大切に思ってお参りするファンへの配慮の欠けた心無い所業が大変ショックでした・・・。

壬生寺・戒光寺でも

このほか、壬生寺の芹沢らの墓所に脇の墓ノートや絵馬に、彼らを暗殺した近藤・土方の絶賛するひとたちもいます。また戒光寺の伊東・服部・毛内・藤堂らの墓所で、伊東の悪口(それも藤堂ファンらしい)を大声で言ったり、お墓にけりをいれようとする人たちや、服部を殺害したといわれる原田のイラストつきノートを置くひと、やおい妄想にふけるひとたちも・・・。がっくりです。


むろん、すべての新選組ファンがこうではありませんが、一部の方の心ない行為によって死者が冒涜され、それを悲しむひとびとがいるのは残念です。自戒を込めていうのですが、墓参は死者を悼む心をもって行いたいものです。


徒然トップ HPトップ