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御陵衛士年表(C)戊辰戦争-赤報隊
慶応4年(1868)

1月 1 三樹ら、薩摩藩今出川藩邸で元旦を祝う。(「岳」)
2 三樹、三条実美邸で水野丹後に面会。(「岳」)
3 三樹、山科能登之介に連れられ、前侍従綾小路俊実訪問。江州挙兵に協力を求められ、快諾。(「三」)
鳥羽伏見の戦い勃発
三樹・秦・新井・阿部・富山・佐原・江田・内海、薩摩藩一番隊に属して戦闘、伏見奉行所の新選組を破る。その後鳥羽方面に。城南宮で宿泊。(「秦」・「岳」等)
4 三樹、戦闘で手に銃創を受け、富山、背中に銃創を受ける。ともに伏見本陣に戻る。薩摩藩西郷・吉井の配慮で今出川薩摩藩邸に。(「秦」・「岳」)
・相楽総三ら薩摩藩江戸浪士、京都に到着。
5 阿部、江田、秦、佐原ら淀方面で戦闘。(「秦」「岳」)
・山科、三樹を訪問。綾小路前侍従・山科と江州挙兵の実行について相談。(「三」「岳」)
6 三樹に前線の同志を呼び集めるよう依頼(「三」)。また、西郷に相談して金・兵器の支援を受ける。(『史』「岳」)
・、綾小路・山科、及び水口藩士油近錬三郎らと合流(綾小路派)。総勢20名ほどで京を脱出する。
7 ・綾小路派一行、坂本到着。相楽総三ら薩摩藩江戸浪士達(相楽派)、侍従滋野井公寿と随従の山本太宰ら滋野井組が合流。総勢100名。(「秦」『相』)
・一行、守山に入る。守山泊。(「秦」)
8 一行、松尾山の金剛輪寺明寿院を本陣とし、挙兵。
9 ・軍制が定まる。軍栽は三樹、油川、相楽。(『相』)
・相楽、上京(『相』)
11 ・朝廷、滋野井・綾小路の京都脱走を許し、義兵を募り、東海道鎮撫総督府附属するようにとの沙汰(「復古記」)
・加納・清原、江戸を出立(『史』)
12 ・東海道鎮撫先鋒を命ぜられる。旧幕府領の年貢半減の沙汰。(「復古記」)
15 ・相楽、松尾山に戻る。(『相』)
・編成変更。一番隊(先陣)相楽、二番隊(君側)三樹、三番隊(後詰)油川。赤報隊を名乗る。(『相』)
・濃州路へ進発。滋野井は不例で残留。(「三」)
16 ・高野山挙兵組、帰京。
22 赤報隊、東海道から信州・甲州方面に進路変更。相楽総三一番隊、先陣として出立。(『相』)
23 ・二番隊(綾小路・三樹)、加納に宿泊。加納永井家に大砲献上させる。(『相』)
・赤報隊を称する者の金品強奪の浮説が伝わり、陳弁のため阿部を上京させる。(「岳」)
・滋野井派、東海道総督府により捕縛される。(『史』)
25 ・二番隊・三番隊(綾小路派)、信州行きを断念し、東海道行きを決める。一番隊(相楽派)に使いを出すが、相楽は拒否。袂を分ってそのまま信州方面に進軍。(『相』)
27 綾小路派(二番隊・三番隊)名古屋入り。(『相』)
・滋野井派8名、斬罪。追放。滋野井は京都へ護送。(『相』)
・年貢半減令とりけし
28 綾小路・三樹・油川、前尾張藩主徳川慶勝と面会。綾小路に帰還命令。相前後して西郷から三樹に帰京許可の密書が届く。(「岳」)
29 先陣の一番隊に帰還命令を出し、綾小路派(二番隊・三番隊)、京都へ向う。名古屋を出発、桑名へ。(『相』)
30? 交渉の末、綾小路、東海道総督橋本実梁に面会適い、一行の帰京が了承される。(『相』)
2月 綾小路派(二番隊・三番隊)、四日市泊。(『相』)
2 水野弥太郎、東山道総督府に逮捕・投獄される。(『相』)
3 綾小路派(二番隊・三番隊)、水口泊。(『相』)
4 綾小路派(二番隊・三番隊)、大津泊。(『相』)
5 ・朝命により、綾小路以下2〜3名が入京。(『相』)
・水野、牢内で急死。(『相』)
6 三樹・油川、綾小路派(二番隊・三番隊)隊士を率いて入京。(『相』)
13 伊東らの遺体を戒光寺に改葬(「毛」)
15 赤報隊二番隊・三番隊、稲葉薬師から寺町本満寺に転陣。(「秦」)
16 加納・清原、東山道総督府薩摩軍に加わり、京都進発。(『高』)
20 三樹・新井・篠原の旧御陵衛士、御親兵取締所に呼び出されて逮捕され、阿波徳島藩邸の牢に留置される。(「秦」)
21 三樹・新井・篠原、大津の阿波徳島藩本陣に護送されて投獄される。(「秦」)
28 三樹・新井・篠原、朝命により?揚り屋に移される。(「秦」)
29 三樹・新井・篠原に夜具三枚が支給されるなど待遇改善。(「秦」)
3
相楽ら一番隊、東山道総督府に出頭を命じられる(『相』)
3 相楽以下幹部8名、斬罪・鳩首される。(『相』)
7 三樹・新井・篠原、出獄し、薩摩藩預りとなる。三名は今出川薩摩藩邸長屋に。(「秦」)
13 東山道総督府軍(加納・清原所属)、江戸板橋着。(『高』)
4
3 流山屯集の大久保大和(近藤勇)、投降。彦根藩渡辺九郎右衛門、近藤ではないかと疑問をもつ。
4 大久保大和、板橋に送還され、加納・清原が面通し、近藤だと見破る。(『史』)
11 江戸開城
18 東山道総督府薩州四番隊(加納・清原所属)、宇都宮入り。(『高』)
閏4 1 富山、出雲崎で水戸脱走兵(諸生党)に捕縛される。(『高』)
2 富山、脱走するが吉永で水戸脱走軍に殺害され、出雲崎に鳩首される。(『高』)
4 油川、軍防裁判所に転任。軍曹伊藤源助(のちの大村益次郎暗殺犯の一人)、赤報隊取締に就任。(『高』)
25 白河攻防戦。東山道総督府薩州四番隊所属の清原戦死。
赤報隊、親兵に取り立てられ、徴兵七番隊の隊号を授かり、四条少将に随従。阿部は徴兵七番隊の一番隊長。油川、徴兵七番隊に復帰。(『高』)
5
中旬 徴兵七番隊(旧赤報隊:阿部ら)、甲府へ出陣。(『高』)
6
11 三樹・新井・篠原、赦免される。(「秦」)
12 三樹・新井・篠原、軍曹・八人扶持をおおせつけられる。(「岳」)
15 三樹、江戸出張を命ぜられる。(「岳」)
22 越後口派遣軍(新井・篠原所属)京都進発(『高』)
29 越後口派遣軍、敦賀着(『高』)
7
18 四条少将、仙台鎮撫総督に。(『高』)
20 越後口派遣軍、越後柏崎着。徴兵七番隊(旧赤報隊:阿部ら)、四条少将に従い、品川出港。篠原、明石藩附属となり、藩兵の一部を指揮することに。(『高』)
21 新井、高鍋藩附属して藩兵の一部を指揮することに。(『高』)
23 仙台鎮撫総督、磐城平に進駐。徴兵七番隊(旧赤報隊:阿部ら)、本営警備に。(『高』)
25 越後口派遣軍、新発田藩領に上陸。新発田藩兵の一部、篠原の指揮下に。(『高』)
26 新井、高鍋藩兵左半隊を率いて進発。(『高』)
29 新井の隊、新潟で米沢藩家老色部長門を討ち取る。(『高』)
8月 11 徴兵七番隊(旧赤報隊:阿部ら)、仙台兵と激戦。(『高』)
9月 1 三樹、勅使の警衛兵を率いての帰京を命ぜられる。佐原、京都で死亡。(『高』)
7 篠原、戦場を通り抜け、会津城下薩摩本陣の伊地知参謀に面会。(「秦」)
9 越後口総督西軍(篠原所属)、会津城下に進入。篠原、東山道総督府薩摩軍所属の加納と再会。清原の死を知る。(「秦」)
11 新井の率いる高鍋藩兵、関川で荘内藩兵と戦闘。新井の従卒高村久蔵重傷。(『高』)
20 会津落城。
28 新井、荘内藩鶴岡入城。(『高』)
10
5 篠原、新発田の本営帰陣。(『高』)
6 篠原・新井、新潟に赴き、高井久蔵を慰霊。(『高』)
15 篠原、京都凱旋のし重方を仰せ付けられる。(「秦」)
19 篠原、出雲崎の教念寺に赴き、富山の霊を弔う。(「秦」)
11
14 篠原、京都帰還(「秦」)
新井、京都へ帰還(『高』)
12
阿部(徴兵七番隊)、京都帰還。(『高』)
2002/4/26 更新

【A】前史(生い立ち・同志集結・新選組時代) 【B】衛士時代 【C】赤報隊
文政11-万延1 文久1−3 元治1 慶応1 慶応2 慶応3-1 慶応3-2 慶応4

「秦」=「秦林親日記」、「三」=「三樹三郎日誌」、「岳」=「岳父鈴木三樹三郎忠良」
『相』=『相楽総三と其同志』、『高』=『高台寺党の人びと』、『史』=『史談会速記録』

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