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2−5祖父の姉ことのこと(仮題by管理人)

by  三樹三郎の孫 鈴木巌氏

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祖父忠良おじいさんの姉であるおことおばあさんについては記憶もない。残念ながら殆ど云い伝えも聞いていない。唯東大橋に住む元市長さんである川並要先生から「わたしの若い頃、私の家に何事かある時、鈴木さんの家から、必ず縫い物を手伝いに来てこられた人があるのだが、鈴木さんの何に当る人であったろう」という話を家内が聞いたことがある。それはたしかにおことおばあさんではないかと思ふ。妹のお須磨おばあさんはお習字が非常にうまく、又おことおばあさんは裁縫が非常に得意であったと聞いている。又女ながらも偉丈夫であったのであろうか斗酒なお辞せずであったと聞く。

記録には相関家に嫁すとしてあるが、私が幼い頃大里のおばあさんと云っていたのがたしかおことおばあさんではないかと思ふ。私の唯一の思い出は、私の物心ついた頃、その時分は大里のおばさんも可成の年齢で体も不自由であった事と思ふが、私のために色々色で縫った約ニ■位のお猿の縫いぐるみが十個ほどつながったものをもらった事がある。小さくて、色々な色があって、皆一様に体を曲げていた。そのさまが可愛くてほほ笑まざるを得ない様であった。その後母の針箱の引出しから出て来たり、母の用箪すの引出しから偶然出て来たりして、その都度なつかしく、長くつながっているのを伸ばして、ぶらぶらさせて見たり、掌の上に重ねて置いて見たりしたことを覚えている。その後何十年も忘れたようになっていた。いつか家内とその猿の話が出た時、いつか散り散りばらばらになって、たった一つ黄色い猿が破れて残っていたのを家内が大切に仏壇の引出しへしまっておいてくれた事を話して呉れた。未だあの時の猿が一個でも残っていて呉れたのをなつかしく、有難く思ふのであった。

(以下略by管理人)
(2004.8.7)

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