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D−4-2 (芳野)桜陰が伊東らの一周忌に詠んだ七言絶句

三樹三郎のご子孫のお宅には、桜陰という人物が、「亡友」伊東甲子太郎と油小路で横死した四名を偲んで一周忌日に詠んだ七言絶句が残されていますも。市居浩一氏は『高台寺党の人びと』で、桜陰は水戸天狗党集義隊長芳野桜陰(芳野新一郎)であると指摘されています。桜陰は芳野金陵の息子で昌平黌助教も務めた秀才でした。七言絶句もお手のものだったと思われます。(漢詩の出来は管理人にはわかりませんが^^;)。ちなみにこのとき、桜陰は数え25歳。4年後に亡くなっています。

三樹三郎は、先祖や物故した同志などの名を書きつけた紙を仏壇に貼り付けて、毎日礼拝していたそうですが、そこに芳野新一郎の名もみられます。桜陰との厚誼が推し量れると思います。伊東との関係を示す史料は未見なのですが、「亡友」としているところからも、親しい間柄だったことがうかがえるのではないでしょうか。伊東が天狗党の筑波挙兵を応援しようとしたという説も桜陰がらみでありえるのではと思います。

*鈴木家蔵の原本を写真に撮らせていただき、そこから翻刻しました。これを三樹三郎作とする新選組本がありますが、間違いです。

画像はこちら
原本からの活字化
(by Kさん・管理人)
左を七言絶句の形式に整えたバージョン(by管理人) 子母沢寛(『新選組遺聞』版(1929年)) 小野圭二郎(「伯父伊東甲子太郎武明」)版(昭和1940年)・『龍馬と新選組』版(2004年)など
 十一月十八日為我
 亡友伊東甲子太
 郎君殉難一周忌
 日代其弟三樹君
 哭之

想昔弟兄辞慈
親風塵今日奈
孤身墓前回首
家山遠依舊旅
魂護
紫宸 

 同日哭殉難四烈士

誓将錦旗挽倒
瀾同盟今有幾
人残風霜未改
墳苔緑請見賊
軍骨己寒    

 櫻陰稿






想昔弟兄辞慈親
風塵今日奈孤身
墓前回首家山遠
依舊旅魂護紫宸 





誓将錦旗挽倒瀾
同盟今有幾人残
風霜未改墳苔緑
請見賊軍骨己寒 
十一月十八日兄甲子太郎殉難一周忌日哭
      弟 三樹三郎



想昔兄弟辞慈親
風塵今日奈狐身
墓前回首家山遠
旅魂護紫宸


同日哭殉難烈士


誓将錦旗挽倒瀾
同盟今有幾人残
風霜未改墳苔緑
請見賊軍骨己寒 

*詞書が原本とかなり違い、三樹三郎作ということにされている。七言絶句も多少改変(添削?)されている。なお、原本の「弟兄」は<おととい>と読み、兄弟を意味するので、間違いではないと思う
十一月十八日兄甲子太郎殉難一周忌日哭
      弟 三樹三郎



想昔兄弟辞慈親
風塵今日奈狐身
墓前回首家山遠
旅魂護紫宸


*小野版は子母沢版をそのまま収録した模様。ただ、殉難四烈士への七言絶句は小野版には所収されていない。『龍馬と新選組』版は小野版をそのまま収録か。

2005/2/11(2007/12/15 子母沢版追加。コメント追加修正)


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「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」