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慶応3年12月14日(1868年1日8日)、前日に永井尚志を警護して下坂し、天満宮に宿陣していた新選組は、監察の山崎丞と吉村貫一郎に100両を渡して伏見に先発させました。 永井尚志は下阪後、再び京都に戻ったようですが、このとき、近藤に向かっては「もはや京都に帰るべきではない。しかし、なにもせずにいるわけにはいかないだろう。伏見市中の警備をしてはどうか」と説得し、近藤はこれを承諾したそうです(永井尚志『史談会速記録』)。 <ヒロ> 王政復古を受けて徳川慶喜が退京した後、新選組は二条城警備への参加を水戸藩から拒否され、新遊撃隊御雇も拒否し、既知の永井に随行して下阪したものの、永井も彼らをずっと引率するつもりはなかったようです。新選組は、政治情勢の微妙な王政復古後の京都において、佐幕派にとって、やはり益なく害ある存在だったのでしょうか・・・。 <参考文献>『新選組史料集コンパクト版』、『史談会速記録』 (2000/1/10、2001/1/10) |
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