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文久2年11月22日(1863.1.11)
【江】久光の守護職任命は、容保の反対で決議できず。
【江】水戸藩主徳川慶篤、武田耕雲斎・大場一真斎らを家老に復職させる/
【江】老中板倉暗殺計画:板倉再登城

■久光の守護職就任問題
【江】文久2年11月22日、幕府は薩摩藩国父島津久光の守護職任命に関する朝廷の内沙汰(こちら)について評議しましたが、京都守護職として赴任間近の会津藩主松平容保が「殊の外不同意」だったため、決議することはできませんでした

<ヒロ>
会津藩の通史である『七年史』によれば、久光が守護職に任命されることを聞いた会津藩士が不満をもち、幕府も議論紛々として任命を可とするものがなかったが、容保が「苟くも京師と関東とに裨隘の事あらば、三郎元より可なり、官位を有せざるものまた可なり、我は只、協力して、公武の御一和を計らんのみ」とカッコヨイことを言ったとされています。でも、実際は、容保の強硬な反対で議論がまとまらなかったようです。(会津藩を追いかけるのに会津藩側の資料だけを読んで、その内容を鵜呑みにするのはアブナイです。自戒をこめて・・・)。

参考:『続再夢紀事』一(2002.1.13)
関連: ■テーマ別「公武合体派勢力の後退と島津久光の退京」「久光の守護職就任(会津VS薩摩)」薩摩藩日誌文久2年

■老中板倉勝静暗殺計画
【江】文久2年11月22日、暗殺計画によって登城を控えていた首席老中板倉勝静が登城を再開しました

関連:◆文久2年11月11日(12.31):【江】老中板倉暗殺(1)薩摩藩高崎猪太郎、山内容堂に板倉暗殺計画を内報 ◆11月18日(1.7):【江】板倉暗殺(2)幕閣、越前藩に容堂に壮士説得を依頼するよう申入れ。 ◆11月19日(1.8):板倉暗殺(3)越前藩、壮士説得を容堂に依頼/

水戸藩&大赦
【江】文久2年11月22日、水戸藩主徳川慶篤は尊攘激派の武田耕雲斎、大場一真斎らを家老に復職させました

関連「幕末水戸藩かけあし事件簿」

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