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1867年1月18日(慶応3年12月24日)

伏見の新選組、土佐の後藤象二郎らと衝突

慶応3年12月24日(135年前の1月19日)、この日三職会議があり、領地返上削除の沙汰書が下り、この件については尾越に周旋させることが決定しました。

この頃、御陵衛士生き残りの襲撃で負傷した近藤勇が治療のために下阪し、局長を欠いた新選組は、上京中の土佐藩の後藤象二郎の一行と藤の森で衝突したそうです。

後藤一行が伏見を過ぎて藤の森の茶屋で休憩しようとしたところ、新選組50名ほどが車座になって酒を酌み交わしており、一行の駕篭に近づいて「何藩か名乗れ名乗れ」など詰問した。返答せずにおいたら、駕篭を蹴るなどの乱暴をし、立ち去ろうとする一行を半里ばかり追跡したそうです。

「今や新選組は殆ど狂犬に斉(ひと)しく、其の相手を選ばず、噛み付かんとするの窮境に陥れるなり」と記されています。(『維新土佐勤王史』)

<ヒロ>
二条城警備の参加を親藩の水戸藩に拒絶され、伏見に入った新選組は、微妙な政治情勢に配慮しないかのように、都筑兵に発砲したり、薩摩藩兵とあわや戦かという衝突を起こしたりしましたが、公議政体派の後藤一行とも衝突していました。日中から車座になって酒を飲んでいたというのにも「窮境」に陥った彼らの焦り・いらだちや士気の低下を感じさせます。

<参考資料>『維新土佐勤王史』、『新撰組史録』

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