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☆京都のお天気: (嵯峨実愛日記) >有志諸侯召集問題 ■肥後藩主弟長岡良之助(護美)の周旋 【小倉】元治元年12月28日、肥後藩主弟細川良之助(護美)は島津久光に書を送り、将軍進発、有志諸侯の上京・一橋慶喜の補佐による「一和基本」の決定が急務であると論じ、そのために自ら書状を送って慶喜に入説する決意を述べました。
<ヒロ> 良之助の「見込」は、彼が12月前半頃に伊達宗城に伝えた内容と同じになります(こちら)。宗城経由で久光に自分の「見込」を知らせたつもりであったものの、久光から何の回答もなかったため、直接「見込」を書き送ったようです。 良之助は慶喜から信頼を寄せられているので、書状で話が済むと思っているのかもしれません。ただし、久光は、この春の慶喜との対立がトラウマになっているようで、良之助への返答では、彼の「見込」に同意はするものの、上京して尽力するよう勧める一方で(「書面にて幾度御申立御座候共去春之形勢を以観察いたし候へは大に六ヶ敷、いるえ貴君乍御苦労御登京御尽力有之度」)、自身は体調不良で気力もないので陰ながら助力するると述べています。 参考:『島津久光公実紀』ニp314-319(2019/1/1) 関連:■「テーマ別」第一次幕長戦(元治1) 【江】薩摩藩士柴山良助、国許の大久保一蔵に、幕府及水戸藩の情勢を報じる |
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