12月の「今日の幕末」 幕末日誌慶応3  テーマ別日誌 開国-開城 HPトップへ

◆11/10へ

慶応3年11月9日(1867年12月4日)
◆福岡孝弟、徳川慶喜の決断を称賛する
◇新選組隊士、伏見奉行与力を殺害

慶応3年11月9日(1867年12月4日)、土佐藩士福岡孝弟は、越前藩を訪問し、徳川慶喜の決断を称賛しました。

福岡は慶喜の反正(正しい状態に帰ること。反省ではありません^^)は、大英断であり、すばらしい(「此度内府公御反正の思召し立、稀世の御英断にて、方今(かっこん)の御見事に相運び候」)と言ったそうです。

慶応3年11月9日、新選組隊士後藤大助らが伏見奉行邸に忍びこんで与力の横田内蔵之助を殺害しました。(西村兼文『新撰組始末記』)

新選組隊士が巨椋(御所・将軍家専用の一般禁猟地)で再三密猟をするのを同所をあずかる伏見奉行所ではかねがね苦々しく思っていたそうです。ある日、同心が後藤が銃を撃ったのを現場で見咎めたが、暴言をはくばかりで承知しませんでした。そこで与力の横田が「御料地であるのだから新選組だとて朝廷・幕府を敬しているのだろう。伝奏・守護職にもうかがってその指令をまつことにしよう」といったところ、後藤は言葉に窮したそうです。後藤はこれを深く恨み、2〜3人で奉行邸の横田宅に押し入って、横田を殺害したようです。天誅テロのしわざとみせかけるために、捨て札を置いて去ったそうです。


<参考>『新選組史料集コンパクト版』(新人物往来社)収録・引用の史料


12月の「今日の幕末」 幕末日誌慶応3  テーマ別日誌 開国-開城 HPトップへ

無断転載・引用・複写、及びやおい作品へのご利用は固くおことわりしますm(__)m。