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★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります)
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「12月の幕末京都&折々の詩歌」

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12月の詩歌


12月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

過去ログ 文久2 文久3 元治1 慶応1 慶応2 慶応3

幕末関係  ◇御陵衛士/浪士組関係
文久2年10-11月(1862)
◆文久2年10/10(1862.12.1)【江】長州藩周布政之助、山内容堂訪問/桂小五郎、間崎哲馬と酒宴。
◆10/11(12.2)【京】土佐藩主、別勅使に先立ち、藩兵500余名を率いて江戸に向って京都を出立/【江】勅使優待(2)松平容保、勅使待遇改善を建議するが老中板倉勝静に反論される
◆10/12(12.3)【京】別勅使、京都を出立/容保に滞府周旋の朝命/【江】勅使優待&攘夷奉勅:)松平春嶽、総裁職辞表を内決
◆10/13(12.4)【江】勅使優待&攘夷奉勅:)春嶽、幕府の朝廷尊崇の意のなさに、総裁職辞表を提出・登城停止
◆10/14(12.5)【江】勅使優待:山内容堂、一橋慶喜に優待を入説/長州周布政之助、越前藩に大久保忠寛への面会仲介を依頼
◆10/15(12.6)【江】勅使優待:容堂、勅使優待を老中に入説
◆◇10/17(12.8)【江】松平容保、小笠原長行と激論/水戸藩、薩摩藩邸上書提出27士(林忠左衛門・吉成恒次郎ら)の藩地送還決定。極刑を恐れた慶喜、中止を勧告。/講武所教授松平主税介、浪士懐柔策を幕府に建言
◆10/18(12.9)【江】攘夷奉勅:容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷奉勅を入説。幕議、奉勅に動く
◆10/19(12.10)【江】攘夷奉勅:慶喜、春嶽に攘夷奉勅に同意と伝える(&開国論者容堂の本音
◆10/20(12.11)【江】攘夷奉勅:幕議、攘夷奉勅を決める・勅使優待内決/大久保忠寛(大久保一翁)、春嶽に「大開国でなければ大政奉還」論(開国上奏し、朝廷が攘夷断行を命じたときは大政奉還・諸侯の列に下ること)を主張
◆10/21(12.12)【江】攘夷奉勅:慶喜、老中に辞職の内意を示す/容堂、開国論の大目付岡部長常を面責
◆10/22(12.13)【江】攘夷奉勅:慶喜、「攘夷に定見なし」と後見職の辞表/容堂、老中井上正直を面罵
◆10/23(12.14)【江】攘夷奉勅:小栗忠順ら慶喜に登城を説得/横井小楠、春嶽に登城説得/容堂、忠寛の「大開国論」に感服/左遷?(1)大久保一翁・岡部長常・小栗忠順(開国論者)に「天誅」の風聞
◆10/24(12.15)【江】攘夷奉勅:春嶽・容堂、慶喜の辞職翻意を勧告
◆10/25(12.16)【江】攘夷奉勅:長州藩世子毛利定広・側用取次大久保一翁(忠寛)、慶喜に登城を説得/老中格小笠原長行、忠寛・長常の罷免と久世らの追罰を板倉に迫る/【京】因幡鳥取藩主池田慶徳に攘夷周旋の朝命
◆10/26(12.17)【江】攘夷奉勅:慶喜、春嶽の説得に応じ登城/幕府、勅使優待を決定
◆10/27(12.18)【江】攘夷別勅使品川到着/【京】土佐五十人組京都を出立
◆10/28(12.19)【江】攘夷別勅使三条実美・姉小路公知、江戸着/山内容堂、幕府御用部屋評議に参加/薩摩藩小松帯刀・高崎猪太郎(五六)、春嶽に近衛関白・青蓮院宮の内意を伝える
◆11/2(12.22)【江】攘夷奉勅:幕府、「開国説が実行される時機もあるだろう」と攘夷奉勅を決議。
◆11/3(12.23)【江】左遷?:慶喜・春嶽、一翁転出を内議
◆11/4(12.24)【江】左遷?:幕府、一翁の講武所奉行転出を決定
◆11/5(12.25)【江】池田慶徳(相模守)攘夷周旋の出府/春嶽、慶徳(慶喜兄)に慶喜が幕習を脱するよう尽力を依頼/一翁の講武所転出/幕府の軍制改革会議
◆11/6(12.26)【江】幕府の軍制改革会議。
◆11/7(12.27)【江】彦根藩士加藤吉太夫、幕府に抗議して自刃/慶徳、春嶽に朝旨を伝宣 
◆11/8(12.28)【江】容堂、勅使に奉答次第を告げる
◆11/10(12.30)【江】攘夷奉勅:慶喜、病と称して登城停止
◆11/11(12.31)【江】老中板倉暗殺:薩摩藩高崎猪太郎、板倉暗殺計画を内報/慶喜、中納言に

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文久3年10-11月(1863)
◆10/22(1863.12.2):【京】参与会議へ(5)松平春嶽、山内容堂に上京を促す/春嶽、薩摩藩高崎猪太郎に幕府は「天下公共の理」に基づき速やかに「私」を脱却すべきだと語る。【京】大久保一翁、春嶽に「公議所」設置を提言する【江】慶喜再上京(3)上洛前に暇乞の登城/【長】進発(6)真木和泉、率兵上京三策を七卿に建策(藩庁は尚早論)
◆10/23(12.3)【江】慶喜再上京(4)一橋家用人中根長十郎暗殺される/幕府、守護職役地の5万石を付与/【京】将軍再上洛(3)軍艦奉行並勝海舟に東下の幕命。春嶽、勝に慶喜&将軍上洛周旋を指示/容保、十津川郷民の救済策を命ず/【長】根来、入京しないまま山口着
◆10/24(12.4)【京】参与会議へ(6)春嶽、伊達宗城の上京を促す書簡
◆10/26(12.6)【京】参与会議へ(7)春嶽、容堂に再び上京を促す/将軍再上洛(4)容保、東下する勝に将軍上洛周旋を依頼/【江】慶喜上京(5)、軍艦操練所から海路上洛の途に/【長】進発(7)藩内不穏を抑えるため、六卿を三田尻から山口へ移す
◆10/27(12.7)【京】守護職容保批判の張り紙【長】入京嘆願(7)藩主敬親、家老井原主計に入京・嘆願(奉勅始末)提出を言い含める/
◆10/28(12.8)【京】妄説否定(1)孝明天皇、「8・18政変以来、意のままにならないので三条実美に伝えよ」「天下のことを三条実美に委任したい」と言ったという風説を否定する宸翰を中川宮(尹宮)へ/【長】内訌(5)周布派の政敵、坪井九右衛門が死罪を言い渡される。
◆10/29(12.9)【京】妄説否定(2)近衛前関白父子、久光に宸翰の写しを送る/将軍再上京(5)将軍家茂上洛に関する再度の朝命を容保に付与 
11/1(12.11)薩摩藩、生麦賠償金七万両を支払う/【江】将軍再上京(6)老中連署して勅書奉戴を伝奏に送り、容保に書状を付与/【京】参与会議へ(8)二条斉敬右大臣・薩摩藩小松帯刀、春嶽に国事の意見をきく。春嶽、朝幕が「私」を棄て「天理」に基づくこと、政体は衆議で決定することなどを述べる
◆11/2(12.12)【坂】慶喜上京(6)慶喜、着坂
◆11/3(12.13)【京】参与会議へ(9)前宇和島藩主伊達宗城入京/春嶽、参内/長州処分(4)筑前藩黒田山城、久光を訪問し、薩長の間、七卿と中川宮の和解を図ることを提案
◆11/4(12.14)【京】参与会議へ(10)宗城、春嶽に書簡/浪士対策II(1)伝奏より諸藩に浪士捕縛許可/【江】将軍再上洛(7)勝、登城し、将軍上洛を上言・上洛掛の内命
◆11/5(12.15)【京】参与会議へ(11)土佐藩下許武兵衛、春嶽訪問【江】将軍再上洛(5)幕府、上洛の勅書奉承 
◆11/6(12.16)【京】長州処分(5)春嶽、長州・七卿処分は国是を決定した上で長州・七卿処分あるべきとの久光の意見に同意する旨を高崎猪に告げる。/浪士対策II(2)伝奏、浪士取締の回達書を諸藩に/所司代、浪士取締の方法を諸藩に示す/幕府、長州藩に潜伏藩士取締を命ず
◆11/7(12.17)【京】長州処分(6)春嶽・容保、中川宮訪問。肥後藩長谷川仁右衛門、越前藩訪問。 長州&七卿処分に関する諸侯協議は慶喜着京を待つことに/越前藩、中根雪江の蟄居を解除し、上京を命ず
◆11/8(12.18)【長】家老の入京嘆願(8)家老井原、奉勅始末提出に上京へ・久坂随従
◆11/9【長】内訌(7)周布派の政敵、坪井九右衛門が野山獄で処刑される。
◆11/10(12.20)【京】将軍再上洛(8)春嶽、勝海舟に老中板倉勝静の上京周旋を依頼
◆11/11(12.21)【京】薩藩小松帯刀、越前藩訪問。勧修寺宮(中川宮の兄)還俗について語る/
◆11/12(12.22)【京】越藩中根雪江入京/【江】将軍再上洛(9)勝海舟、若年寄松平縫殿に将軍上洛遅延なきを主張/幕府、衣服省略の命(文久2年の改革)を改める
◆11/15(12.25)【京】参与会議へ(12)久光、朝廷に永世不抜の基本を立てるよう建白/孝明天皇、島津久光に密勅21条を下す【江】江戸城火災【京】入京嘆願(9)乃美、朝廷に井原の入京許可を請う
◆11/16(12.26)【京】越藩中根ら、会津藩秋月悌次郎を訪問し、政変について聞く/大久保一翁の返書、春嶽に届く/新選組、将軍後見職慶喜警護の一員として下坂【肥】横井小楠の罪案決まる
◆◇11/19(12.29)【京】将軍再上洛(10)会津藩邸に春嶽・宗城・久光ら集会。江戸城火災による将軍上洛延引不可を議決/入京嘆願(10)乃美、再び入京許可を請う 【坂】近藤勇、町奉行永井尚志と面会?
◆11/20(12.30)【京】将軍再上洛(11)越前藩と各藩から将軍上洛を促す使者を出すことを相談【江】吉井幸輔、勝に将軍上洛の勅周旋について相談する。
◆11/21(12.31)【坂】慶喜、大坂城入城/【京】将軍再上洛(12)永井尚志東下

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慶応3年11-12月(1867)
◆11/6(1867.12.1)
◆11/7(12.2)
◆11/8(12.3)
◇11/9(12.4)新選組隊士後藤大助ら、伏見奉行所与力を殺害。/朝廷、「両三藩」の語を撤回/福岡孝弟、越前藩訪問。慶喜の英断をほめる
11/10(12.5慶喜、二条城で春嶽に謁見。政権返還は本懐であると告げる/越藩中根雪江、永井尚志訪問。会津の現況をただす。
◇11/10(12.5)御陵衛士斎藤一、新選組に反復する
◆11/11(12.6)尾張犬山藩家老、越前藩側用人に「邪魔」な会津藩は東帰させるべきと語る/彦根藩、大垣藩とともに在京譜代諸侯の代表として、大政奉還後も万事徳川家から執達があることを願う建白書を提出
◆◇11/12(12.7)新選組の「暴論」を恐れ、越前・尾張藩の参内延期の沙汰という風聞
◆11/13(12.8)【薩】藩主島津茂久・西郷吉之助(隆盛)らを従えて進発
◆11/14(12.9)会津藩が薩土芸討伐の企てありとの噂
◆11/15(12.10)朝廷、慶喜に新政府組織案を諮問/永井尚志、「会津は専ら復権の主張と承り候」と危ぶむ。/会津藩公用人小野権之丞、幕権回復論を否定/坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺。新選組犯行説流れる/溜間詰庄内藩主酒井忠篤ら6名・菊之間詰大名ら20余名、上京の朝命辞退/大久保一蔵、入京
◆11/16(12.11)陸援隊への間者村山謙吉捕縛。土佐福岡、越前邸で「(暗殺犯は)おそらく新撰組ならん」と語る/11or12日阿部十郎、薩摩藩邸に衛士の保護を求めるが断られる
◆11/17(12.12)【京】二条摂政、慶喜・諸大名に太政官八省再興を諮問。慶喜、公議与論で決すべきと返答/中岡死亡/【薩】藩主茂久の三田尻到着
11/18(12.13)油小路事件(1)伊東、近藤妾宅へ呼び出される/坂本・中岡の葬儀?/海援隊7人、新選組等の詮索が厳しく宿屋に断られ、土佐白川邸へ入る/【薩長】両藩主会見。薩長出兵協約(12/28日の京都挙兵)。西郷、薩長土出兵の部署決定
11/18(12.13)油小路事件(2)伊東、新選組に暗殺される
◇11/19(12.14)油小路事件(3)油小路の闘い
◆11/19(12.14)油小路事件(4)伊東らの遺骸が放置される。三樹、加納、富山、薩藩に入る。阿部・内海、土佐藩邸に保護を断られ、戒光寺に/油小路の手当て、及び葬儀両が新選組へ会津より下される/。大久保一蔵、坂本暗殺は新選組に違いないとする手紙を岩倉へ出す/長州藩に末家家老召出中止の報が届く
◆11/20(12.15)春嶽、慶喜の政権奉還は真意であると納得して、尽力を誓う。/篠原・阿部・内海、今出川薩摩藩邸に保護される /薩摩藩中村半次郎、衛士残党に坂本・中岡暗殺犯(新選組の関与)について質問する/新井の妻小静、篠原の妻萩野、伊東の妾が薩摩藩遠武橘次の屋敷に逃げ込む
◆◇11/21(12.16)【京】公議政体派・土佐藩後藤象二郎入京/篠原・阿部・内海、伏見薩摩藩邸へ。三樹らと合流/長州兵尾道進駐
◆11/22(12.17)討幕派岩倉具視、中山忠能宛書簡に「慶喜は理があるが会桑の罪いかん」と記す/長州藩、藩内に出兵を令する
◆11/23(12.18)薩摩藩主島津茂久、率兵入京(小松抜き)/慶勝、二条城で慶喜に対談。「疑念氷解」
◆◇11/24(12.19)薩摩藩吉井幸輔、慶喜への疑念はないと発言。また、公議による王政復古を急ぐ必要性、伊東の暗殺についても。
◆11/25(12.20)土佐藩後藤、越前の同意を得て朝廷工作へ。(正親町三条実愛に入説等)/長州兵、進発。
◆11/26(12.21)近藤勇、若年寄格永井から取り調べをうける。甲子太郎斬手続き(正親町三条実愛)
◆11/27(12.22)永井尚志、土藩後藤に慶喜の構想は「郡県制」と伝える/薩藩大久保、徳川の反正真実ときくが「紀会桑等の雑説もあれば」と疑念。
◆11/28(12.23)会藩公用人手代木直右衛門、春嶽に大政奉還後の状況を否定/越前藩内、「尊王旗」を掲げて公議政体を進め、異論を討つとの議論/討幕派芸州藩世子入京
◆11/29(12.24)薩藩大久保、正親町三条実愛にクーデターを入説。長州、西宮上陸
◆12/1(12.26)大久保、中山忠能を入説
◆12/2(12.27)大久保・西郷、後藤にクーデター計画伝える。長州兵上洛に関する二条城での会議。長州の上坂の朝命 (会津・中川宮の反対)
◆12/3(12.28)会津・藤堂藩の長州入京反対の入説に公卿、恐怖することを越前候松平春嶽に伝える
◆12/4(12.29)春嶽登城。会津の妄動鎮撫に策を練る。250
◆12/5(12.30)岩倉、後藤のクーデター延期要請を「会桑新撰」の動きを理由に拒否
◆12/6(12.31)岩倉、中山宛書簡「会桑之奸しきりに申し居」


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