2月の「幕末京都」 幕末日誌文久3 開国開城 HP内検索 HPトップ
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【江】文久3年12月26日、前越前藩主松平春嶽は、藩士中根雪江(靱負)を後見職一橋慶喜のもとに遣わしました。 ・「参謀」の名称 中根は<二条城の会合でご相談になった「参謀」の名称が妥当でない件については、伊達殿もご同意なので、尊卿から尹宮へ仰せ上げられますように>と述べると、慶喜は承知した上で、さらに中根から中川宮に言上するよう依頼しました。(中川宮は一橋邸を辞去してすぐ中川宮邸を訪ねています) ・国是決定と横浜鎖港談判使節出発延期 また、中根が、前日伊達宗城が提案した横浜鎖港談判使節を長崎に逗留させる件(こちら)について陳述したところ、慶喜は<使節はいまだ出航すべきでないと考えるが、すでに朝廷へは出航に決定したと言上したときく。その後、どのような運びとなっているのか速やかに大坂で有馬遠州(=老中有馬道純)に問い合わせよう>と答えたそうです。 関連■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」■テーマ別文久3年「参豫会議へ」「横浜鎖港交渉」■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」 ■徳川慶喜日誌文久3 参考:『続再夢紀事』二p310 【江】文久3年12月26日、将軍徳川家茂は、鎖港談判使節池田修理らに委任状を下付しました。 関連:■テーマ別文久3年「横浜鎖港交渉」 参考:『維新史料綱要』(2005.2.3) |