◆1/16【大阪】征長総督徳川慶勝、大坂到着 ☆京都のお天気:晴薄雪雲南行 (嵯峨実愛日記) >将軍上洛/坂問題 【京】元治元年1月18日(2.13)、朝廷は、将軍家茂に対して、「防長処置」は「即今之急務最皇国之大事」であるので、兼てからの沙汰通り、速やかな上坂を命じました。また、これに伴い、慶勝には暫時滞留を命じました。
(おさらい) 慶勝は、1月16日に着坂していました。慶勝は、当初、自ら上京して朝廷に報告するつもりでしたが、1月11日に直接参府せよとの幕命を受け取ったため(こちら)、17日に附家老成瀬正肥を上京させ、自分は「所労」を口実に大坂にどどまっていました。 <ヒロ> 中川宮の日記によれば、この将軍上坂・長州処分決定の勅は、「一橋会桑等」の内々の申し出によるものでした。(「等」には前越前藩主松平春嶽も含まれていると思いますこちら)。ちなみに、幕府は1月15日に江戸での長州処分決定と将軍進発中止を布達したばかりでした・・・(こちら)。 参考:「九条家国事記録」(綱要DB慶応1年1月18日条No41)、『朝彦親王日記』一p105-106、『嵯峨実愛日記』一p133、『越前藩幕末維新公用日記』p163(2019/1/3) 関連:■「開国-開城」第一次幕長戦争と水戸浪士(天狗)西上■「テーマ別」第一次幕長戦(元治1) 第一次幕長戦(慶応1) >天狗党処分 【京】元治元年1月18日(2.13)、常野浪士追討軍総括田沼意尊が、加賀藩が預かっている天狗党の受取のため上京しました。(2019/1/3) 関連:■「開国-開城」第一次幕長戦争と水戸浪士(天狗)西上 ■「テーマ別」水戸藩/天狗諸生争乱 |
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