■将軍再上洛 【京】文久4年1月12日(1864年2月19日)、 関白二条斉敬(にじょう・なりゆき)は書面を以って、総裁職松平直克、守護職松平容保、老中水野忠精、参豫の山内容堂・伊達宗城、薩摩藩国父島津久光らに対し、近日入京する将軍家茂を補佐して公武協和に尽力することを命じました。 <ヒロ> 総裁職及び老中は前日に入京しましたので、それにタイミングをあわせた発言だと思います。なお、『七年史』によれば、関白は、さらに、去年の春のように早々に将軍が東帰すれば「協和もまた完全なる事能はざるべし」なので、一同、十分に配慮・尽力するようにとも諭したそうです。(『維新史料綱要』によれば、「島津久光文久三年癸亥上京日録」(『玉里島津家史料』)や『続再夢紀事』にも関連記事があるはずなのですが、見つけられません。『伊達宗城在京日記』の1月12日の項には二条邸を訪ねたことが記されていますが書面のことは記されていません)。 関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」■テーマ別元治1「将軍再上洛へ」 参考:『維新史料綱要』五、『京都守護職始末』、『七年史』ニp94(2007.12.25) |
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