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文久4年2月19日(1864.3.26)

【京】京都守護職松平春嶽、老中に国是一定と在京諸侯の速やかな帰国を建言
【肥後】坂本龍馬、勝海舟の命で横井小楠を訪問

☆京都のお天気:晴晩景細雨(久光の日記より)

【京】文久4年2月19日(1864.3.26)、京都守護職(&朝議参豫)松平春嶽は、老中に国是一定と速やかな在京諸侯帰国を建言しました。

老中は同意して、早速協議すると答えました。

<ヒロ>
1月21日の宸翰(内諭)にある「一定不抜の国是を定」めよという部分を意識しての建言だと思います(こちら)。とはいっても、対外方針については横浜鎖港の請書提出で決着がついたので、この場合の「国是」は内政面の最重要課題、長州処分のことになるのでしょうか。もしかすると、春嶽の主張する「政体一新」も含まれているのかもしれませんが。

参考:『続再夢紀事』p337(2010/4/14)
関連:■テーマ別元治1 「参豫の幕政参加問題」」「将軍への二度の宸翰」■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊

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