慶応3年3月7日(1867.4.11)、伊東甲子太郎と新井忠雄が九州を出立し、船に乗って帰京の途につきました。(伊東甲子太郎「九州行道中記」) <ヒロ>伊東と新井は約2ヶ月前に京都を出立し、九州をまわっていました。目的は、大宰府の尊皇派公卿(禁門の政変で追われた公卿)や護衛の志士と面会し、尊王の志を貫くための新選組からの分離計画について理解を得ることでした。ときには新選組の間者ではないかとの嫌疑を受けるなど、苦労した旅でした。「九州道中記」は伊東直筆の道中記ですが、日記というより備忘録のような感じで、それを補うように17首の和歌が詠まれています。 関連:「九州行道中記」@衛士館 |