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慶応3年3月21日(1867年4月16日) 
伊東・新井、京都に帰着・同志と面談

慶応3年3月12日(1867.4.16)、伊東と新井は淀川を船で上って京都に到着。同志と面会、雑談しました(伊東甲子太郎「九州道中日記」)

「十二日、昼、淀川を船にて上京、同志に面会雑談」

<ヒロ>伊東と新井は約2ヶ月前に京都を出立し、九州をまわっていました。目的は、大宰府の尊王派公卿(禁門の政変で追われた公卿)や護衛の志士と面会し、新選組からの分離計画について理解を得ることでした。ときには新選組の間者ではないかとの嫌疑を受けるなど、苦労した旅でした。前日には、御陵衛士を拝命していますから、この日の同志との雑談にはそのことが一番の話題だったでしょう。

ここで、伊東が使っている「同志」という言葉は、御陵衛士の性格をよく表していると思います。(わたしが、伊東&衛士ファンである理由のひとつが、伊東の仲間を大切にするところ、衛士たちの固い絆なのです^^)

関連:「九州行道中記」@衛士館、御陵衛士日誌「慶応3年(2)」@衛士館
<参考>『伯父甲子太郎武明・岳父鈴木三樹三郎」収録の史料

2001.4.16

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